Baroqueの優雅な昼下り②

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九品仏②

九品寺(浄真寺)は3回目です。
三井記念美の西大寺展の京都の九体寺(浄瑠璃寺)で思い出して
いってきました。
九品寺は江戸時代以前は奥沢城といわれたお城であったそうです。 
世田谷城主吉良氏の城もしくは同氏の家臣大平氏の居城であったようです。


閻魔大王
閻魔大王


奪衣婆(だつえばばあ) 別名葬頭河婆(そうづかばば)
だつえばばあ奪衣婆 葬頭河婆そうずかばあ
奪衣婆 葬頭河婆そうずかばあ
三途の川を渡るとき六文銭を持ってないとこの奪衣婆(だつえばばあ)に
衣をうばわれるそうです・・・
一説によると 閻魔大王と夫婦とか・・・



          ・・♪・・・





地元に住む先輩の御案内で
楽しいお寺参りができました。
地元ならではのお話を伺いながら・・・
狐と狸の取り合い
参拝の後、毛利のお豆腐などを買ったりしました。
二人で きつねとたぬき の、おそばとうどん を選び
うどんのほうが美味しく
さながら
きつねとたぬきが、そばとうどんの争奪戦のようでした。  ↑
おいしかった。

九品仏の写真  三体を横に並べるのに苦労しました。
結果、苦労の割には報われず つかれました。 




[ 2017/06/19 20:01 ] 旅行 | TB(-) | CM(-)

九品仏

九品仏・浄真寺に行ってきました。
( 東急大井町線九品仏駅下車  世田谷区)



境内には3っつの仏堂 三仏堂 があります。

施印は、
下品堂
下品下生  下品上生  下品中生 (左から)

九品仏下品下生 - コピー九品仏下品上生九品仏下品中生







上品堂
上品下生  上品上生  上品中生

九品仏上品下生 - コピー九品仏上品上生 - コピー九品仏上品中生 - コピー





中品堂
中品下生  中品上生  中品中生
中品下生 - コピー九品仏中品上生 - コピー九品仏中品中生 - コピー
中品上生の阿弥陀様はお留守でした。
2013~2023年 平成九品佛大修理事業 だそうです。




そして こちらが御本堂(龍護殿)にいらっしゃる
御本尊 釈迦如来様
              九品仏御本尊様 - コピー


          ・・・・


『観無量寿経』に説く九品往生(くほんおうじょう)の思想に基づくものである。
なお、九品往生を9通りの印相で表す教義的根拠は明確でなく、
日本において近世になってから考え出されたもののようである。

浄真寺の九品仏の場合、阿弥陀如来の印相の内、定印を 上生印 としました。



九体の阿弥陀さまは
珂碩上人(開山)が監修されたといわれる木造で
東京都指定文化財(有形)です。



また、3年に一度の おめんかぶり は、東京都指定文化財(無形になってます。
お面かぶり
[ 2017/06/19 13:20 ] 旅行 | TB(-) | CM(-)

荏原台古墳群

先日の古墳群見学が楽しかったので
ネットで少し調べてみました・・・

どうやら田園調布古墳群というようです。
50基もある荏原台古墳群の一つで
東京都大田区側にあるのをだいたい田園調布古墳群というようです。 ↓
(地元に住む友達の御案内で
地元ならでは の、お話を伺いながらの見学は楽しかった。)


荏原台古墳群

荏原台古墳群(えばらだいこふんぐん)は、
東京都にある古墳群で、
田園調布古墳群と野毛古墳群の総称である。



目次
1 概説

2 田園調布古墳群
2.1 宝莱山古墳
2.2 亀甲山古墳
2.3 多摩川台古墳群
2.4 浅間神社古墳
2.5 観音塚古墳
2.6 鵜木大塚古墳

3 野毛古墳群
3.1 野毛大塚古墳
3.2 御嶽山古墳
3.3 八幡塚古墳

4 多摩川台公園古墳展示室

5 参考文献


概説[編集]

荏原台古墳群は、多摩川下流左岸の
世田谷区野毛周辺から大田区田園調布に広がる古墳群で
50基あまりの古墳からなる。 
そしてそれらは田園調布を中心とする田園調布古墳群と
野毛を中心とする野毛古墳群とに分けられる。 
田園調布雙葉学園のすぐ西にある天慶塚古墳が野毛古墳群の東端とされ、
境界はその東の大きな谷とされるが、
大まかに言って大田区内を田園調布古墳群、世田谷区内を野毛古墳群としてよい。

この地域は武蔵野台地の南端部に位置し、
多摩川によって作られた標高30~40mの河岸段丘上にある。
そしてここが武蔵国荏原郡に属していたことから荏原台と呼ばれ、
古墳群名もそれにちなんで付けられている。

時期的にはまず4世紀には前半に田園調布古墳群の宝莱山古墳が、
後半に亀甲山古墳の大型前方後円墳が造られ、末には中型の円墳もつくられた。
そして5世紀にはいると代わって野毛地域に大型の帆立貝形古墳である野毛大塚古墳がつくられ、
続いて八幡塚古墳、御嶽山古墳など多数の中型の円墳ないし帆立貝形古墳が造られるが、
この時期には田園調布地域には古墳の築造は見られない。
さらに
時代が下って5世紀末になると田園調布地域に古墳築造がもどり、
まず前方後円墳の浅間神社古墳が造られ、
6世紀から7世紀にかけて
多摩川台古墳群の8基の古墳を始めとする数多くの中型の円墳、前方後円墳が造られた。
そして7世紀中頃から後になると
田園調布周辺では古墳の築造は見られなくなり、
代わって舌状台地の東・南などに面した斜面に横穴墓が群集して造営されるようになった。




以下では、この古墳群に属する主な古墳について解説する。

田園調布古墳群

宝莱山古墳(ほうらいさんこふん)は多摩川台公園西北端にある。
全長97mの大型前方後円墳で、
「宝来山古墳」とも書かれる。
東京都指定史跡。この地域最古の古墳で、4世紀に築造された。


亀甲山古墳(かめのこやまこふん)は多摩川台公園東南部にある。
全長107mで、荏原台古墳群で最大の前方後円墳である。
昭和3年に国の史跡に指定された。5世紀前半ころの築造。


多摩川台古墳群
亀甲山古墳と宝来山古墳との間に
南東部から順に1号から8号までの番号のついた8基の古墳があって、
多摩川台古墳群と呼ばれる。このうち、
1・2号墳は小型前方後円墳と円墳とが複合したものであるが、
他はすべて円墳で、大きさは直径が18m前後、高さが2m前後である。
また、1号墳から7号墳までは1列に連なっており、8号墳はちょっと離れている。
いずれも6世紀後半から7世紀中頃まで築造されたものである。
この古墳列は上は木立で両側に歩道が通り、3カ所の横断歩道もあってゆっくり散策が出来る。


浅間神社古墳(せんげんじんじゃこふん)は
大田区田園調布の多摩川浅間神社にある前方後円墳である。
築造は6世紀前半と見られている。
後円部の直径は30mで、全長は推計で60m。
後円部は削平されて神社の社殿が造営され、
前方部は多摩川台公園との間の東急東横線の線路にまで延びていたと推定されている。 


観音塚古墳
宝莱山古墳の北西約150mにあった古墳。
現在は墳丘は失われているが、
1947年の発掘調査で全長42.5m、前方部幅26.5m、後円部径22m、高さ4mほどの前方後円墳と推定された。
埋葬施設は、
両袖式の横穴式石室で、直刀、ガラス玉など多数の副葬品が発見された。
かっては1817年に墳丘から人物埴輪が発見されている。
6世紀末の築造。


鵜木大塚古墳(うのきおおつかこふん)は、
大田区雪谷大塚町にある直径27メートルの円墳である。
今でも原形が比較的よく保存されているが、
南隅がかき落とされて、そこに稲荷社が造営されている。






野毛古墳群

野毛大塚古墳(のげおおつかこふん)は
世田谷区野毛1丁目の玉川野毛町公園にある。 
全長86mの大型帆立貝式古墳で、
野毛古墳群を代表する古墳である。 
築造は5世紀。


御嶽山古墳(みたけさんこふん)は
等々力1丁目、
等々力不動近くで目黒通りに面してあり、
東京都指定史跡である。
帆立貝形古墳で全長57m、円丘部の直径42m、現在高7m。
5世紀後半の構築と考えられている。
今は周りに柵があって、無断では中に入ることはできない。


八幡塚古墳(はちまんづかこふん)は
世田谷区尾山台2丁目の宇佐神社の境内にある。 
円墳で直径約30m、高さ約4.5m。 
出土品から5世紀中頃から6世紀にかけて築造されたと推定されている。




多摩川台公園古墳展示室

多摩川台公園管理事務所には、
この荏原台古墳群の古墳分布地図を示し、
いろいろと解説を与え、
公園内の古墳から出土したものを展示し、
古墳を実物大で再現した「古墳展示室」[1]が併設されている。
展示室は無料、月曜休館。


参考文献
『田園調布の古墳』大田区教育委員会、1990年7月
『浅間神社古墳 東急東横線複々線化工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書』
浅間神社古墳遺跡調査団、
東京急行電鉄株式会社、1992年
『東京都指定史跡 宝莱山古墳 ――
大田区立多摩川台公園拡張部公園整備に伴う範囲確認調査報告書 ――』
東京都指定史跡宝莱山古墳調査会、1998年
『野毛大塚古墳 ―― 古墳保存整備・発掘調査記録 ――』
世田谷区教育委員会、野毛大塚古墳調査会、1999年


執筆の途中です
この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。
この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。

東京都の古墳
世田谷区の歴史
大田区の歴史
古墳群



            ・・♪・・・

地下鉄での広告を写しました。
日経三国志シリーズ  ↓

日経三国志
三国志とありますのが、
誰とだれ ?
玄徳は、経済にも強かったの?
[ 2017/04/11 17:02 ] 旅行 | TB(-) | CM(-)

隅田川からのお花見

今日は隅田川からお花見でした・・・
両国から舟に乗って
浅草まで・・
の 往復でした。
隅田川の花見 - コピー
両国橋を渡って
両国 国技館前から乗船
隅田川です。
関東大震災の復興記念の4っつの橋
 蔵前橋、厩橋、駒形橋、吾妻橋
の橋の下をくぐり
櫻を見物しました。
浅草です。
落語、歌舞伎、お相撲の世界です・・・・


本日は お昼は
鰤門(しもん)で江戸前すしを食べ
その後
COREDO落語会でした。
4席
宮戸川  三遊亭王楽
愛宕山  春風亭小朝
化け物使い 橘家園太郎
紺屋高尾  柳家花緑
聴いてからの 夕方のお花見
盛りだくさん で楽しい一日でした。


[ 2017/04/08 21:28 ] 旅行 | TB(-) | CM(-)

オマーンスルタン国大使館

オマーンスルタン国大使公邸 にいってきました。
豊富な産油国・最近では液化天然ガス産国

大使館は、大理石の豪華な建物です。
身分証明書の提示
(面白い事に印字された銀行カードでもよい・・との事です。)
あっさりの検問。
oma-nn.jpg

オマーンスルタン国大使館
中東 アラビア半島最東端 飛び地を含む海に囲まれた国です。
豊富な天然資源で国がなりたってます。
先日  話題の来日王 ・サウジアラビアのいわばお隣。
私は昨年やはりお隣のUAEはドバイ空港でのトランジットでした。
もう一つのお隣は 今、深刻なイエメンです。


アラブとペルシャは別の民族なのだそうです。
こちらは アラブ です。
DSC_0014.jpg


来日10年の 大使閣下   ⇓
  第一次安倍内閣の時 安倍総理大臣閣下もここにいらしてます。
親日国オマーンは 中東の日本になりたいのだそうです。


上の金色の紋章は国旗にも取り込まれてるシャムシールをデザイン化したものです。
ヨーロッパでは、シミターと呼ばれ、
映画アラビアのロレンスを思い出します。
(日本名は 三日月刀、又は新月刀・半月刀)
私は、この形のペーパーナイフを道端のお土産屋さんで買いました
(スペインだったような気がします。)
DSC_0012.jpg

大使夫人が美しくテーブルセッテイングしてくださいました。 ↓
ヨーロッパ等のパーテイでよくみる 日本の帯 です。
テーブルセッテイング


中東の料理
本日はお米の料理が多かった
フランスワインを準備しててくださいました。
オマーン料理
料理の全てが多いです。
ワイングラスも大きい。


民族衣装で
大使夫人と記念撮影・・・・
オマーンスルタン国大使夫人とコスプレ - コピー - コピー
私は、きれいな青い色を選びました。
コスプレです
[ 2017/03/28 16:24 ] 旅行 | TB(-) | CM(-)

亀甲山古墳(かめのこやまこふん)

多摩川台
亀甲山(かめのこやま)古墳 にいってきました。
古墳群がある と、いう事は最近の都内の案内書などで
ぼんやりと 認識はしてましたが、
こんないい所に こんなにいい保存で存在されてましたのね・・・・
東急によって開発された
高級住宅地田園調布・・・  の近く・・

以下wiki ↓ 
史跡指定
国の史跡
亀甲山古墳(かめのこやまこふん)は、
東京都大田区田園調布1丁目の多摩川台公園東南部にある前方後円墳で、
荏原台古墳群で最大の古墳である。
後円部の裾の一部を浄水場建設工事で削平されたほかは、
原形をよく留めている。1928年(昭和3年)に国の史跡に指定された。

発掘作業が行われていないため出土品がないが、
4世紀後半から5世紀前半ころの築造で、
当時この地方に勢力があった首長の墓と考えられている。
全長107m、前方部の長さ41m、後円部の直径48m、高さ10m。
上には樹木が生い茂り、周りに柵があって中には入れない。
wiki ↑ より

亀甲山古墳案内 - コピー
古墳は沢山あります。


多摩川沿いの小高い台地
三号墳


多摩川が曲がってるのだそうです。
奥 の方
多摩川
多摩川河川敷の左(写真右)には、野球の練習場があります。
ここが、かっての巨人軍多摩川グラウンドでしょうか。
 (川崎市多摩区よみうりランド内に移転する前の )



宝来山古墳は、場所を間違えました・・・
古墳風ですが、宝来山公園でした。


         ・・・♪・・・


今日は文菊師匠の古桑庵落語でした。
夢の酒
井戸の茶碗
充分楽しめました。
居眠りしていいよ
と、
云われてうれしくなりました。

 ( かって、某師匠が 居眠りしてる客をおこったという話を思い出して・・・・ )






本日14日目 稀勢の里出場 
稀勢の里出場がニュース速報です(NHKラジオ)

録画が無事出来上がってました。




[ 2017/03/26 16:43 ] 旅行 | TB(-) | CM(-)

赤坂豊川稲荷神社

赤坂の豊川稲荷にいってきました。
ここは、赤坂一ツ木の大岡越前守の邸内からの移建だったそうで
大岡様も祀ってあります。
愛知県の豊川市の豊川閣如厳寺の豊川稲荷の唯一の直轄東京別院です。
(愛知県豊田市ではないのね。)
豊川稲荷


何といっても場所が素晴らしい
お隣は東宮御所
東宮御所



沢山の お狐さま なので 神社とおもってました。
お寺なのだそうです・・・・・
DSC_0160.jpg DSC_0161.jpg
ここのおきつねさまは
アイテムなしで、踏ん張ってます。



沢山の お狐さま・・・・
沢山のお狐さま
思い出しました
前に 着物を着てここに来た事があります。
(勿論その頃は、神様のおつかいのお狐さま と信じてました)
あの時の
ピッタリのTPOがたのしかった・・・


太郎稲荷
太郎稲荷



沢山います・・・
ここは日光か・・
(東照宮は神さまですね。)
73kb沢山 (2)


沢山います
沢山①



沢山③






               ・・・・♪・・・・










虎屋を捜しましたが、わからなくなりました。
工事中でしたのね・・・
そのおかげで 面白いものを見つけました。
虎屋ビルの裏側に
怪しいもの が、あるのを見つけました。 ↓



美喜井稲荷神社猫

美喜井稲荷神社とありました。
なんと、ここは お稲荷さん でした。
下はビルの車庫への通路です。


お稲荷さんですが、
ここでは 猫が主役です。 ↓
怪しい猫がいます(ここは日光の東照宮か・・・)
美喜井稲荷神社


修復する これも猫だそうです。
修理中
虎の後ろは猫!
虎の前は狐
怪しい赤坂・・・
楽しかった




この後、 国立劇場演芸場にゆきます。
本日は
蜃気楼龍玉師匠( ^ω^)・・・



[ 2017/03/05 23:59 ] 旅行 | TB(-) | CM(-)

王子稲荷神社

正一位王子稲荷大明神 に行ってみました・・・・

正一位王子稲荷大明神
この辺りは上野のお山から 道灌山 飛鳥山 と 低い山が続き、
江戸時代 飛鳥山あたりは、お花見で賑わい
その名残が現在でも、僅かにうかがう事ができてうれしい
かっては 富士山や筑波山を見る事ができたようで
都内は 関東平野 であることを認識します。

その山(坂道?)を登って下りてきました。

鍵のお狐さま↓  と、            霊のお狐さま↓
お狐さま鍵 お狐さま



境内は二千坪 昔はこんもりとした杉の大木に包まれ昼なお暗く
山中には沢山の‘狐’が安住してました。
その跡は お穴様として保存されてます。
狐の穴


社宝は 柴田是真の‘茨木’(1814年) の扁額があります。 
柴田是真の茨木1814年 - コピー


柴田是真 の鬼女図額面1840年
これは お正月 と 初午 のみの公開だそうです。
これを初午の時に拝観した いづつや氏におおいに刺激され
今回の正一位王子稲荷大明神になりました。
写真 ↑ は、その貴重なものの借用です。


毎歳十二月晦日の夜
狐 沢山集まり明年の豊凶を卜す。

広重 名所江戸百景 王子装束ゑの木 大晦日の狐火(1857年)
王子 大晦日の狐火
集まった狐たちは装束を調えてからお参りします。
なお、装束稲荷神社は 400m東にあります。



広重 名所江戸百景  (奥に筑波山が見えます)
広重 名所江戸百景 奥は筑波山


王子稲荷神社は明治維新まで
近くの王子権現
(王子神社・本社は熊野王子権現 地名の由来)とともに
王子両社と称して氏神として崇められてきました。
(江戸時代の神仏習合時代によって
禅夷山東光院金輪寺の別当として。
その後、明治政府の神仏分離政策で
廃仏毀釈。 
金輪寺は二坊を残して廃寺になりました。) 御由緒書等より



日本は穏やかに大らかに多くの宗教を取り入れてきた といわれてますが、
歴史に翻弄され 国政に動かされては いますね。
ミシマ曰く の、 ‘一つの宗教を殺して・・・別のを取り入れる。’
の 激しさ が 諸外国程ではないようにおもいます。
そこまでしなくても 海に守られ こじんまりと・・・
生きてこれました


私にとって、王子は 落語の 王子の狐 (きつねがひとにだまされる) を、真っ先に思い出す地名です。
場所柄 毎度お馴染みではありますが・・・
ですから
新鮮味に欠けますが・・・・
以前 扇屋の玉子焼きをよく買いました・・・
甘すぎるので肴には チョット・・・
酒にはいいのかしら・・・、ビールにはチョットデス。
(まだ、売ってるの?)




[ 2017/03/05 23:55 ] 旅行 | TB(-) | CM(-)

日本橋

本日は、日本橋 を、お散歩!
福徳神社(芽吹稲荷・めぶきいなり)をみつけました。
場所柄 どうも‘ 落語ニ関係アリ’  と判断しました・・・・
家に帰り調べました。
ありました・・・
‘山’の中から捜し出しました・・・・
文菊師匠から サイン して頂いた 貴重な本を
見つけ出しました。
演目の中では お稲荷さん は、登場しないので
日本橋散歩などの本からの検索です。
 題名は ‘百川 ’ でした。
百川楼(ももかわろう) は当時、本当にあった高級料亭の名前です。

日本橋 浮世小路(うきよしょうじ)福徳神社近くにある
料亭 百川(ももかわ)
 田舎言葉の奉公人の百兵衛(ひゃくべえ) と、客の勘違いから、
間違えて長谷川町の三光新道(さんこうじんみち)の 常磐津の師匠ではなく医師を連れてくる。
という 落語です。

落語 日本橋


大都会のお稲荷さん  ↓
百川 福徳神社
福徳神社(別名 芽吹稲荷)


おキツネさま達  ↓
落語百川福徳神社 - コピー



百川浮世小路 芽吹稲荷
お稲荷さんは、その字からもわかるように 
‘稲を荷ってる’という事で五穀豊穣を祈ってるという事でもあります。
なぜ狐か?  は、以前調べた事がありますが、
分かりませんでした。
農業国日本は、動物の助けを借りて生きてきました。
その辺の事が、家畜をうやまうという事らしいですが、はっきりした説は分からず 
なぜ ‘狐’ 限定か? 
のようです。
狐は稲の農作業の始まる春頃に里に出始め 
稲の農作業の終わる秋に山に帰るという説があるようです。
狐は植物の根を食べてしまう鼠を餌にします・・・・
でも、狸ではなく、兎でもなく猪や熊などではないですね。
‘謎(なぞ)’のようです。

おきつねさま達は、
面白い事に 対峙してる狐はくわえてるアイテムが それぞれちがいます。
多いのは 玉と鍵 だそうで、稲、巻物、子狐などがあります。
(個人的には
邸宅稲荷などといわれる祠のある家は沢山の蔵があり
玉を鍵で守らなければならなかったのでは? 
と、思ったりしてます。)
今でも 都心には お稲荷さん が いたるところにあります。
 ビルの谷間や
あるいは
ビルの屋上 など・・・
それらからの力の発信は 
日本人の凄さを感じさせてくれます・・・
嬉しい事です・・・・







 ・・♪・・・





三井記念美術館は
三井家のおひなさま展でした。
三井家のお雛様



以上本日の日本橋でした。
[ 2017/03/02 17:44 ] 旅行 | TB(-) | CM(-)

皇居

皇居一般参観してきました。
本日は両陛下は葉山の御用邸に御滞在
ということを ニュースで知ってました。


私達は
桔梗門から入りました。
巽櫓(たつみやぐら)を中から・・・
巽櫓は、東京駅に一番近い二重櫓 桜田櫓ともいわれてる。
桔梗門内から巽櫓 - コピー
昔は主要櫓(二重と三重)が、20棟もあったといわれてますが、
今は
巽櫓(二重櫓)、富士見櫓、伏見櫓の3棟のみ残ってます。


常盤木や見上げるような石垣を通り抜けます。
そんななかで島津藩の〇に十の字の紋の入った石垣です。
丸に十の字の石垣

富士見櫓(三重櫓)です。
富士見櫓


紅葉山という所の近くにもきました。
私達がよく聞いているのは
皇后陛下の御養蚕所のある山としてです。
木々に覆われての奥の奥です。
直接、建物を見ることはできません。
どうやら
田圃もこの近くのようです。
もちろん 拝見出来ません。
80歳を超えられての 田植えは大変な事に存します・・・




長和殿
お正月の一般参賀などでテレビでお馴染みです。
長和殿
長い長い160mの長和殿。
案外低いんです。




二重橋
奥の鉄橋 の、上から
石橋を望む望む・・・・・・・・♪
石橋の先は皇居前広場
正門鉄橋より正門石橋 - コピー




その奥の鉄橋の上から
 伏見櫓を望む
別名 月見櫓ともよばれてます。
正門鉄橋より伏見櫓 - コピー


皇居東御苑は、三の丸尚蔵館 や、楽部などへ
何回も行く機会に恵まれてますが、
西側のいわゆる二重橋を渡ってからの参観は初めてです。
宮内庁職員による案内・説明を聞きながら
皇宮警察に守られて(にらまれて)の参観です。
本日・午前の部 100名以上の参観者(8割が外国人だそうです。
日本語の説明です・・・・)


私は、皇居内の売店で  饅頭 羊羹や 二重橋文鎮 などのおみやげを買い過ぎました。
2時間近く山を登ったり、降りたりで 凍える手でのスマホ撮影。
少し前なら考えられない 参観 にフラフラになって 感動!




[ 2017/02/01 21:47 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

日本工業俱楽部会館

日本工業倶楽部会館にいってきました。

日本工業倶楽部   (HPより)
 大正六年、当時の有力実業家により
「工業家が力を合わせて、わが国の工業を発展させる」ことを
目的として創立された団体。
初代理事長は三井の団琢磨氏。

 創立後は、重要経済問題、労働問題などに関して
調査活動および政府への建議を行い
経済団体としての機能を果たしてきた。

 第二次大戦後は戦後経済の復興発展の礎のような役割を担い、
経団連、日経連をはじめ職能的な経済団体の設立と育成に協力し、
それらの団体と重複する事業は行わないこととなった。

 現在は、財界人の交流の場として、
また、定款に記された事業を行うことによって
公益法人としての役割を果たしている。

 公益法人制度改革関係三法の施行に伴い、
新法人への移行を進め、内閣府認可を受けた後、
平成25年7月1日移行が完了し、
一般社団法人日本工業倶楽部となりました。






日本工業倶楽部の会館について   (HP)
日本工業倶楽部

大正6年、日本工業倶楽部創立後直ちに倶楽部会館の建設が計画され、
約3年後の大正9年11月に、地上5階、鉄筋コンクリート造、一部鉄骨造の会館が、
現在の丸の内に完成した。
設計は横河民輔、松井貴太郎他。

 日本における数少ない本格的なセセッション様式の建物で、
全体に、「雅にして堅」を旨としていて、国賓を迎えることを考慮して、
入り口にはドリック・オーダーが配され、
正面階段も広くとられた。
正面屋上には小倉右一郎作の二つの人像が置かれ、
男性はハンマー、女性は糸巻きを手にし、
当時の二大工業石炭と紡績を示していた。

 この工業倶楽部会館は、
第一次世界大戦による工業の発展、
昭和初期の大恐慌、戦争、敗戦、復興、経済成長を通じて
常に経済界の大きなドラマの舞台であって、
財界の記念碑的な存在であった。

ここまでHPより ↑

    

             ・・・♪・・・


日本工業倶楽部会館は、
経団連(日経連)、経済同友会、日本商工会議所などの
経済三団体と 言われる団体の事務局 がありました。
現在は財界の記念碑的な存在で
財界人の交流の場となってます。
1999年には、登録有形文化財になりましたが、
2003年一部を保存し建て替えました。


初代会長は団琢磨
初代から現在までの会長の写真が飾られてありました。
DSC_0332.jpg

現会長は今井敬氏
かかげられてた
写真の写し方がぶれてしまいましたので
別の写真です。
img170.jpg
経団連会長は
財界の総理といわれてました。
経団連元会長の今井氏です。



日本工業倶楽部会館は、
数少ない分離派様式(例のセ・セッション様式、広島原爆ドームもこの様式なのだそうです。)
会員制で、
会員でなければ、入れません。
会員でも何でもない私が入れたのはラッキーです。
内部も立派で 映画の撮影にもよく使われてるそうです。
料理はフランス料理で
お味は 記しません( ^ω^)・・・。


和紙で造られた壁紙
DSC_0336.jpg
[ 2017/02/01 19:27 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イラン旅行

昨秋のイラン観光から帰って
家にあった関係本をながめてました。

そして、
ここで 今回の イラン との区切りにしようと思います。


ヨーロッパの学者の本は、自国にいいように解釈してるものが多く
そういう見方(みかた)もあったのか とおもってます。
ベルザー版 西洋美術全史・全12巻
監修 前川誠郎
1 オリエント・エーゲ海美術
w・ヴォルフ   友部 直
は、
誠実な内容は心地よくはありますが、
バリバリのドイツ。

澤柳大五郎編
様式の歴史   美術出版社
は、付録としてちょこっと
エジプト・メソポタミア・ペルシア・イスラムですが、
よくまとまってて うれしい。
古い本なので 字が小さく印刷も良くないので 読みにくく
苦労しました。

松本清張さんも飛鳥と関連つけてるようです。

旅行中 絵本を買いました。
どうやら
アケメネス朝ペルシアの成り立ちのようです。
キュロス大王 の誕生の物語のようです・・・

ペルシャの神話
岡田恵美子
世界の神話5 筑摩書房
とても面白く わかりやすく ため になりました。
特に岡田氏が、あたたかい目でイランとそれから日本をみてるのは
うれしく理解する事ができました。

110KB.jpg




















[ 2017/01/23 20:39 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イラン・イスラム共和国  ⑰

テヘラン

イラン国立考古学博物館(バースタン)


この博物館は
二つにわかれてます。
古代からササン朝までのペルシャ時代
アラブからイスラムが入ってからの時代    です。

私は古い方にのみ行きました・・・・
イラン国立考古学博物館

古い時代のペルシャ
   ペルシャ時代





エラム王国は
旧約・新約聖書にも言及されてるそうです。
イラン南西部にBC3000年中葉~BC7世紀まで栄ました。
この地方は 
木材・鉱物資源が豊かな 山岳地帯
と、
豊かな水を灌漑によって利用した平野部
によって占められてました。
独自の文化を築きその文化遺産は多数出土しました。
(ルーブル美術館・スーサ博物館・イラン考古学博物館に分蔵)
エラム王国は三期に分けられます。
エラム古王国 BC2500頃~BC1500
エラム中王国 BC1275~BC1240
エラム新王国       ~BC742

土着の種々の民族によって構成されていたようです。
プロト・エラム文字という絵文字
その後の線文字
もあったようですが、これらは
解読されてないようです。

エラム王国 チョガ・ザンビル のジッグラト  (おそらく BC12ごろ  )
ペルシャのジックラトさん


   ペルシャのジッグラトい




   ペルシャのバベル
ジックラトはメソポタミアの聖塔で、神々が神殿に降臨するための門でありました。
本格的ジッグラトは BC2100年ごろ現在のイラクのウルがメソポタミアを統一したこ頃
ウルの主神(月神)の神殿を建て 付属する
聖塔ジッックラトを建造しました。
BC6世紀頃までにメソポタミアやエラム(現在のイラン)に造営されました。
エラムには 30くらいの存在が、証明されてます。
最も保存状態のいいのは ‘ウルのジッグラト‘です。

エラム王国のチョガ・ザンビルには行きませんでした。
が、
イランでは、これが一番良い状態で保存されてるそうですので、
少し調べました。
1935年の油田の調査の時に偶然発掘・発見できたそうです。
50mはあったと思われる 聖塔です。
西イラン

西



チョガザンビルの模型
キリスト教圏とくに ヨーロッパでは、これが バベルの塔 と、言われてる事が多いそうです。
まあ、そう遠くはないですし、あり得る事ではあります。
十字架 といい、
バベルの塔 といい
機能性と美しさ が、抜群のこれらは、宗派を問わず  
偶然か、真似か は、わかりませんが 素敵です。




時代は、下ってアケメネス朝です。これはペルセポリスですね。
   DSC09402.jpg




ペルセポリスの謁見の間 への階段
ダレイオス大王
      ダレイオス大王とクセルクセス(左)


ペレスポリス100柱の間の柱頭の飾り
    DSC09405.jpg





パルテイア朝の貴人の像  ↓
この像は、日本に来た事があるそうです。
(教科書などで見たことがあります。)
この像を拝見した・・・・・というだけで
アケメネス朝 と、ササン朝の間に 時代的に位置してる
パルテイア朝を 少しだけ調べてみました。
博物館でみただけです。
アレキサンダーの東征とセレウコス王朝の支配(BC4~BC2ごろ)には、
ヘレニズム文化が移植されました。この時期の事はほとんど知られてません。
セレコス王朝はシリアのアンテイオキアを都にしました。
イラン高原東北部のホラサンなどはそこから独立したようです。
それから
アケメネス王朝の属州パルテイアに侵入しました。
アルサケス朝パルテイアの歴史がはじまったようです。
アルサケス1世は間もなく亡くなり弟のテイリダテス1世(BC211)
が継ぎ ヒオルカニア、メデイアなどイラン北部・西部へ進出 
さらにバビロンなどのメソポタミアを占領し
イラン高原南部の スシアーナ、ペルシスなどを征服しパルテイア帝国を樹立しました。
東はサカ族を征服し  メシポタミアからアフガニスタン南部にいたる広大な領域を支配しました。
セレコウス王朝に変わったローマ共和国が、メソポタミア、アルメニアなどと衝突し
内乱などもありササン家のアルダシール(224~240)にやぶれ
アルサケス朝パルテイアは滅亡(226年)

アルケサス朝パルテイアは、
前代のアケメネス王朝 と、 次代のササン朝がイラン的色彩が濃厚な文化を創造しましたが、
ヘレニズム文化を積極的に受容したので
非ペルシャ的色彩が濃い。
しかしながらイラン国内の考古学研究があまりないため資料がほとんどない。
これに対し いらく、シリア、トルコメニスタン、アフガニスタンなどの周辺都市遺跡は、発掘され
両隣接地区の美術はその不足を補足してます。

アケメネス朝後 の   パルテイア朝の貴人立像(BC1~AD1、ジャミー出土、 ブロンズ194cm)
これは日本に来た事があるようです。
    アケメネス朝パルテイア王子


このパルテイア朝の諸都市の都市設計プランは、円形(楕円)が多いそうです。
中心から四方に大路を配し東西南北に4っつ門があります。
(ウズベキスタン、 タフト・イ・スライーマン、ハトラなどに遺跡がある。)


タフト・イ・スライーマン遺跡
中央におおきな池がある。
タフトイスライーマン遺跡







ハトラの都城跡平面プランと都城跡の中央部分

イラン北部モールス市90kmハトラ(現、アル・ハドル)
この時代のもので、最もよく保存されてる。

ハトラの都城跡平面プラン


アッシリア、ヒッタイト、メデイア、ホルムズ、西トルキスタンなどでも発掘されてる。



        ・・・・



ハンムラビ法典のコピー
(本物はパリ・ルーブル美術館にあります。)
BC18世紀後半 イラン・スーサ出土
上部 太陽神が、立ち上がったハンムラビ王に法典をさづける場面。
     ハンブラビ法典のコピー


ハンムラビ法典の楔形(せっけい)文字
     スサ出土 クサビ文字



         ・・・・


ギーラン出土の椀  ササン朝
        DSC09416.jpg

ギーラン ササン朝    ↓
     DSC09417.jpg

帰えってから
吉川弘文館
深井晋司・田辺勝美 著
ペルシア美術史

楽しく読んでます。




これで、今回の 架空都市 は終わります
[ 2016/11/02 23:39 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イラン・イスラム共和国 ⑯

テヘラン
テヘランはイランの首都
人口1100万人
イラン北西部の標高1400mにあります。
北部にアルボス山脈があり その北側はカスピ海です。
テヘラン中西部
ドバイからほぼ垂直に上ってテヘランに到着
その後、国内線でシラーズ下り
そしてシラーズから再びバスでほぼ垂直にテヘランに戻りました。
ガラス博物館 と、イラン・バスタン博物館の見学です。

ガラス博物館 (アブギネ博物館)
邸宅博物館です。
大使館にもなった事があるようです。
ガラス博旧邸宅アブギネ



これを見に わざわざ日本からやってきました。
ギーラン州出土 6世紀ササン朝ペルシャ
アブギネ博
テヘラン北のアルボス山脈・一山こえて カスピ海沿岸にギーラン州があります。
降水量の多い土地だそうです。

DSC09365.jpg


DSC09362.jpg


DSC09359.jpg


深井晋司著 ペルシャのガラス オリエント選書12
         日本オリエント学会監修 東京新聞出版局
とても 解りやすく、✌('ω'✌ )三✌('ω')✌三( ✌'ω')✌楽しいです。ワクワクする本です。

          
                ・・・・♪・・・


 正倉院の宝物(旧御物)

正倉院白瑠璃椀
正倉院白瑠璃椀 



こちらは安閑天皇陵出土 6世紀前半 国立東京博物館蔵
安閑天皇 6世紀 東博 - コピー
正倉院のと そっくりですが、正倉院のが数段質が高いそうです。


瑠璃杯
瑠璃杯 コバルト 正倉院



漆胡瓶
漆胡瓶 胡はペルシア 鳥

さあ、さあ、さあさあさあさあ・・・・
見て下さい。
貴国  ペルシャ(胡)の御品は、ここありますよ。
こんなに いい状態で、
こんなに いい保存  で
こんなに 大切に・・・・・

日本って凄いんですよ 
日本人ってすごいんです。

これだけで油1000年分の価値あるでしょう・・・・。
仲よくしましょうね。




[ 2016/11/02 20:54 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イスラム・イスラム共和国 ⑮

テヘランに向います
カシャーン
シャー・アッバース大王の造った美しい庭園
フインガーデン
ここも 水です・・・・
上手く高低差を利用して水が巡回できるように設計されてるそうです。
カシャーン アッバース1のフインガーデン

今度は宮殿です
サーダバード宮殿
パーレビ国王の旧夏の離宮
広い広い宮殿 です。沢山の建物がありました。
水が豊富なのでしょう・・・
豊な樹木で覆われた宮殿です
彼の弓は、領地の限界を決めます(イラクとの国境とか・・)
DSC09465.jpg


テヘランへの途中 アビネ村 にゆきました。
2000m高さにあります。谷の斜面の階段状に建つ家々
この村は 水がとても豊富です。
イランの柘榴。
アビヤネ村の柘榴
イラン西北部から南西部にかけてザグロス山脈があります。
柘榴の名前の由来かともいわれてるようです。
もしかして原種(?)
そんなはずはないです。

こんな道をドンドン バスで進みます。
礫沙漠というようです。
礫砂漠


テヘランに向かう途中 塩湖もありました。
遠方白いのが、塩湖だす。
塩湖に





テヘランでは一般家庭訪問 という事です。
思ってた雰囲気とは違いました。
かなり ハイソな御家庭です。
テヘランの北側 の高級な住宅地区のインテリ家庭
一般家庭
チャイタイムは素敵でした。
夫人と共にハンサムな御長男の おもてなしは うれしかった。
(アメリカ在住・只今帰国中・・・トカ)
[ 2016/11/01 19:54 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イラン・イスラム共和国 ⑭

イスフアハンの アルメニアタウン
市内 川をはさんで 南側の1画にアルメニアタウンがあります。
アルメニアは最初にキリスト教を公認した国 という事ですね。
イランと地続きの隣国です。何年か前に沢山のオーソドックスの教会を見物(!)しました。

なんと、
イランはイスフアハンに
オーソドックスのヴァ-ンク教会があります。
(この事は初めて知りました。)
イスラム風ドームの上には十字架です。
アルメニア


誇り高きアルメニア人の宗教関係者でしょう
誇り高きアルメニア人
イランでキリスト教とは・・・
少しドキドキしてます。
後で聞きました イスフアフアンには
こういう教会は18個あるそうです。
周辺には30個くらいあるそうです。
道内の壁は隙間なくキリスト教の壁画でみたされてます。
アルメニア教会さん


最後の審判 ですね。
DSC09025 - コピー



tenngoku - コピー





博物館もありました。
印刷機
資料館いんさつき
印刷機はワイン絞り機から考え出されたと聴いてます
印刷機はキリスト教を思い出させてくれます。
1455年グーテンブルグのいわゆる四十二行聖書を印刷
世界で48セットのこってるそうです。日本は慶應大学が1セット所蔵してます。
今、アルメニアの美味しいコニャックも思いだしてます。
(この地区では、イランでも、お酒が飲めます
これも驚きです。で~も、なんか不安デス 。
あの美味しいアルメニアコニャックを‘飲め’と言われても ここでは遠慮します。)


美しい聖書・・・
時祷書でしょうか・・・
聖書
何時の時代? と注意してみましたが、
何かよくわかりませんでした・・・)

[ 2016/10/31 22:40 ] 旅行 | TB(0) | CM(2)

イラン・イスラム共和国 ⑬

イスフアハンのチェヘルソトウーン宮殿
アッバース1世の1599年にイスフアハーンが首都に選定されました。
サーヤンデルードとヨバレル河川 と平原によって
緑豊かな歴史的都市設計を
完全に象徴したいわば人工都市です。
庭園が沢山ありました。
これは、イスフアハーンの都市計画の一つです。
 今は二つ残ってます。
チェヘルソトウーン宮殿は
まず庭園が出来ました。
その後 建物がたちました。
外国からの賓客をもてなすためものです。
エイヴァーンと呼ばれるテラスもあります
チェヘルソトウーン宮殿


中央のプールの四方にあるライオンの口からは 水が流れ噴水もあり
水面に宮殿が写るように設計されてます。

テラスの噴水


宮殿の広間は、相規模な装飾鏡:細工 壁の壁画 木製の柱 ムカルナスという鍾乳石の装飾も美しいです。
宮殿に入る


壁の壁画 ↓
この絵は有名なもののようで、
宿泊したシラーズのホテルにもこの絵のコピーが飾られてました。
私は、絵ハガキも買いました。
この絵の頃はワインを飲むことができましたね・・・・
壁画

宮殿の廻りの水路は植物を潤し美しさを増してます。
日本人には何でもない植物も 地域によりますがイランでは誇るべきもの、欠かせないもののようです。




イスフアハン
都市発展の理由となった川に掛かる1600年初頭のスイ・オー・セ橋(33橋)
スイーオーセ33橋 
川には、なんと、一滴の水も流れてません・・・。
季節によるのだそうです・・・。
[ 2016/10/31 18:53 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イラン・イスラム共和国 ⑫

イスフアハンの ジャメモスク です
ジャメモスク ジャメモスクとは金曜礼拝のモスク の意で、
その街の一番おおきなモスクである事が多いです。
このイスフアハンジャメモスクは、760年頃から建てられ初めて
現在の建物は10世紀~16世紀頃までに建築修復増築が繰り返され
過去1000年のイランイスラム建築の特徴をもってます。
イスフアハンジャーメモスク


北・南・東・西のエイヴァンというテラスを有するし
四方から中庭を囲むようにしてます。
これはイラン建築様式の一つのようです。
イスフアハンジャメモスク


このモスクはイスラム期イランの歴史的建築を集めた博物館のようで
最も重要なイランの歴史的建造物の一つです。
装飾の素晴らしさには目を奪われます。
文字も装飾になってます。書体も日本の書道のようにいろいrぱります。
アラビア語・ペルシャ語があるらしい・・・。
柱の材料も構築も 凄いらしい・・・・

イランの歴史的建造物


銃弾跡です。
ガイド曰く この度のイイ戦争でのイラクのだそうです。
イイ戦争の跡トカ

え~と、何世紀からでしたかしら・・・・ ↓
760年ゴロカラ


4っつのテラス(エイヴァーン) が、わかるのでしょうか。

[ 2016/10/31 16:02 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イラン・イスラム共和国 ⑪

イスフアハン
イスフアハンはアッバース1世の下で繁栄しました。
王の広場(イマーム広場)を中心に 王のモスク(イマームモスク) バザール 宮殿 神学校が、建設され
貿易が推奨され世界の商品が集まり 世界の半分 と称される繁栄を謳歌しました。
イスフアハーンには 隊商宿(キャラバンサライ)があり貿易の中心でありました。
伝統工芸品のペルシャ絨毯の産地でもあり、刺繍、金属細工、彩画陶器 などの工芸品が、ヨーロッパに輸出されてました。
特に 王のモスク は、青色のタイルで装飾された美しいドームを持ちイラン建築の粋といわれてます。

☆アッバース大王(1571~1629年)
  サフアヴィー朝
  イスフアハンを建設 現代イランの基礎を築いた苛烈なるシャー





イスフアハン イマーム広場
イマーム広場は、まわりを青を基調とした精密なアラベスク模様のタイルで覆われた
モスクや宮殿によって囲まれてます。 
‘イスフアハンは世界の半分 ’といわれた 楽園のような都市でした。

イマーム広場
イマーム広場のパノラマ - コピーいい写真をみつけました。 ↑


左・シェイクロトフオラー   中・イマームモスク  右・アリカプ宮殿
イマーム広場

王のモスク(イマームモスク)
王のモスクさん

王のモスク


王(イマーム)モスク の ムカルナス
イマームモスクのイーワーン

モスク内部
モスク内部

イマームモスクのイーワンのムカルナス
ムカルナスとは、鍾乳石の◎天井のこと。10世紀イラン北西部で発展しました建築装飾で単純な幾何学的要素を繰り返したものです。イスラム建築で特に優れているのは内装です。(庭園も)
偶像制作が、禁止されてたため 装飾が発達しました。文字・幾何学図形・植物などを描いた文様が発達しました。アラベスクです。イスラミック・カリグラフイー(装飾文字)でコーランを装飾とし引用しましたので、イスラム教徒は母国語の他に必ずアラビア語を学んでます。


マスジェデシェイフ・ロトウフオッラー モスク
薔薇モスクミナレトなし
黄色が多くつかわれてます。

ミナレットがないモスクです。世界一優美なモスク 薔薇のモスク といわれてます。
シェイクロトモスク

ima-mumosukuno.jpg





アリカプ宮殿
イラン最初の高層建築
アリカプ宮殿世界最初の高層建築






イマーム広場の廻りには沢山のお店がならんでます。
いろいろな、お店があります。店先で金工細工をしながら商品を作ってるのもあります。

以下はイマーム(王)の広場廻りのお土産やさん です。

今まで 私が見た中で一番おおきなラピスラズリーです。
DSC09184 - コピー



DSC09174.jpg

大きいです
大きいの

大きいです
大きすぎる

大きいです。
DSC09209.jpg






こちらは チャイハネ(喫茶店)です
チャイハネ喫茶店

☆旅行中約1000枚の写真を写しましたが、あまりにも下手な写真は難解ですので、拝借したのもあります。
[ 2016/10/30 23:56 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イラン・イスラム共和国 ⑩

ヤズド ⇒ イスフアハン です

途中
キャラバンサライ 隊商宿を見学しました。
そばにラクダがいました。(草が少しあるので ある意味放し飼い)
カナートもみました。
カナートとは地下水路のことです。
紀元前からこれはあったそうで
地下深く水路をつくります。
それが枯れると 次の水路を捜します。
草が生えてる所を結び付けて母カナートをさがすそうです。
水は大切です。
イランの油は南の西側で獲れるそうですので
旅行中それらしい場所には出会えませんでした。
輸送はどうするのですか と、ガイドさんに訊きましたら
イラン人のガイド曰く
バイクで運びます・・・・
(???・・・)
パイプの事のようです。
石油1缶お願いいたします。
はい、バイクで運びます・・・・



              
                    ・・・・・・・




隊商宿(キャラバンサライ)です。
17世紀のあたらしいもののようです。

ここで私は、ラジオ⇒喜多郎のシルクロードのCDに替えました。
ワイン飲みながら の 作業に切り替わります。

喜多郎からかなり西側ではありますが・・・・
前にアゼルバイジャンでキャラバンサライをみました。
トルコでもみました。
いちおうローマという事ですが、
西限界はシリア説があるようですが、ブルガリアでもみました。
(シルクロードではないといってもいいのでしょうか)
隊商宿いち
このシルクロードというロマンチックな響 と、正倉院 は、
どんなにか 高校生以来の私を悩ませた事でしょうか・・・・
今おもえば 青かったのです。
青い春 でした。
その青さを、なんとか表現したいと
楽しく苦労 をしました。
それは、私の 糧 になりました。
悩み・苦労は財産です。水です。
年を経て
少し変化してきました。
さあ、もう戻れません
この様な旅行 や、展覧会などで 接する機会があると
その財産と水を思い出し 豊な気持ちにはなります
が、
あの頃の激しい ときめき は、薄らぎました。
この事実は受け止めなければなりません。
淡々と、粛々と・・・・
そして 穏やかに前に進みたい。



そういえば ここは、隊商宿を参考にしたという
きのうのトラデイショナルホテルににてます・・・
隊商宿に


階段もありました。
隊商宿さん


駱駝です
らくだ


素朴なカナートです。
カナート


草の生える路を捜しまわります。
母カナートを見つけるのです。
カナート捜し


[ 2016/10/30 21:04 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イラン・イスラム共和国 ⑨

ヤズド市内観光

アミルチャグマーク広場
市民グループがお祈りでしょうか、集会を開いてました。
アミルチャグマーク

      ・・・・・


ジャメモスク
上から見た市内の写真
一番高いのはジャミモスク
ヤズド ジャミーモスク

ヤッパリ美しいイスラムモスク
ヤズド 

イスラミックヒジャブ ↓
私たちも スカーフ です。
イスラミックヒジャブ

モスクの内部
モスク内部

かぎ十字がみえます。
カギ十字


             
               ・・・・


ドウラト・アーバード庭園

ヤズド市内には 砂漠に適応したペルシャ建築がいくつかあります。
構造的な事はよくわかりませんが、庭園内でその一旦を見る事ができます。
何よりも 水
それから 冷房


大事な大事な水路
ドウラト アーバード庭園DSC08958

大切な水
庭園


砂漠適応の 風取り塔(バードギール)建築 
天然の冷房
ドウラトアーバードの砂漠適応のペルシャ建築バードギール

イスラム風の美しい細工
ドウラトア^バード




                   ・・・・・・


ヤズドのホテル
ヤズドでは トラデイショナルホテル といわれてるホテルでした。
‘隊商宿’の趣のある エキゾテイック なホテルでした。
名前は マルコール・トレッジャル ホテル といいました。
市内にはこのようなホテルがいくつかあるようです。
入り口から迷路のように狭い曲りくねった細い長い廊下を通りフロントへ

怪しい魅力の 迷路のような通路からさらに怪しいフロントへ
ayasiimiryokuno.jpg



そして又、迷路のような階段から
いきなり広い中庭です・・・。
レストランやチャイルームとなってます。
天井はないそうで 天幕で覆われてます。
迷路のようなトラデイショナルホテル
アブラカナブラ・・・・

その中庭レストランは
やっぱり中心に水のある中東風 ↑
故事来歴イワク因縁のありそうな細工  ↓    怪しいデス
DSC08855.jpg



その日 宿泊した部屋です。
シラーズのハーヘエズ廟の前で美女が詩を詠んでます。
中庭は天井はなく天幕で覆われてる









朝 起きて気が付きました。
鍵をかけ忘れてました。
DSC08863.jpg






[ 2016/10/30 21:01 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イラン・イスラム共和国 ⑧

ゾロアスター教の起源はBC6世紀までには ペルシャ人のほとんどの人々が信仰していたといわれてます。
BC3世紀に成立したアケメネス朝でもアフラ・マズダへの信仰はしっかり守らてました。
3世紀初頭に成立した後続のササン朝では、国教とされました。
そして活発なペルシャ商人によって中央アジア・中国・他にも伝わりました。
7世紀後半以降のアラビアからのイスラームの台頭によってペルシアのゾロアスター教は衰退しました。
その活動は インドに移り 今でも少数ではありますが、インド社会にある種の影響力を持ってます。
現在 信者は約10万人
ヤズドには4万人位といわれてます。
開祖はザラスシュロラ(ゾロアスター・ツアラトウストラ)とされてます。

日本では 過去に東芝が電球や真空管などを マツダ MAZDA としてブランド化しました。(マツダランプ)
           又、
          自動車のマツダ はその綴りは MAZDA  です。
img161.jpg

ゾロアスター教の守護霊
守護霊プラヴァシ


ヤズドの
ゾロアスター寺院 
各地を経めぐりて
1940年頃にこの寺院ができたようです。
   ヤズドゾロアスター寺院

ゾロアスターです。
ゾロ②

分かりやすい 看板です。
ゾロ③

A.D.400年頃から燃えてる 火
ゾロ④



ゾロアスタ-
ゾロ➄

いろいろみました。
ゾロ⑥

ゾロ⑦

DSC08939.jpg
[ 2016/10/29 20:21 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イラン・イスラム共和国  ⑦

ヤズド郊外の荒野
沈黙の塔

ゾロアスター教徒の遺体を葬る鳥葬の場所です。
現在は使用されてません。
ハゲタカもいません。

暮れかかってますが、
これが ゾロアスター教の(上級者)の鳥葬の場所です。
ヤズドの鳥葬塔


その場所まで登りました。
登りました

・・・・・・・・・・。






無事に降りて振り返ると 
沈黙の塔は すっかり暮れてしまいした。
暮てしまった鳥葬の沈黙の塔



これは 沈黙の塔 からみた
ヤズドの街
上からヤズドの街



(去年 イラン大使館では、鳥葬ではなく風葬といいます。といわれましたが
ガイドさんは鳥葬。沢山の本も鳥葬 。といいますので 鳥葬にします。)


ヤズド
イランにおいて古い歴史のある町です。
ゾロアスター教文化の中心地です。
キャビール砂漠とルート砂漠の交わるところ。
シール・クーフ山脈とハラーネグ山脈の谷間にある
オアシス都市です。
1年を通じて寒暖の差は激しく、夏は40℃ 冬は-20℃が記録されてます。
ヤズドには、
砂漠型の伝統的ペルシア建築における優れた例となる建築が複数あります。
又、世界最大のカナート網を持ち、その職人の腕は最も熟練したものとされてます。
ヤズドのカナートは地下40m位にあり、90kmに及ぶものがあります。
旧建築の多くはバードギルと地下室を設けてます。
近くの山地にはヤフチャール(氷室)を備え
ヤズド建築として挙げられてます。


[ 2016/10/29 17:29 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イラン・イスラム共和国  ⑥

パサルガダエ王宮遺跡

パサルガダエは
キュロス大王が造営した
ペルシャ帝国 アケメネス朝最初の王都です。
今は、散在してますが
樹木の庭園、宮殿、聖火殿、聖火神殿、有翼牡牛の像(優雅な彫刻など)
帝国の最初の美術の性格がみられのだそうです。。

こんな道を進みます。
こんな道


遺跡の南端の 
キュロス大王の墓
キュロス大王のお墓

墓 と、要塞 と、二つのペルシア式庭園があり
全体の構造は
なんと、免震構造でシンド7に耐える構造とのことです。
が、
私は、全く理解する事ができませんでした。
遺跡


最も重要な事でしょう。
水路の確保・・・・
今は水は流れてません。
水路

石ですね・・・
石

楔形文字が、見えます。
楔文字


水が豊富であったのでしょう。
礫砂漠に
なんと 魚 です。
魚

ソロモンの母の墓 と呼ばれていた宮殿跡
免振構造




パサルガダエから少し北上したアバルク村というところに
 ↓ のようなモノが、ありました。
なんでしょう・・・
まさか・・・・
バベルの塔 ではないでしょうね。
似てます・・・・
アバルク村の氷室
これは100年くらい前の物らしいです。イランにはいくつかあります。
氷室 です。
自然の冷蔵庫です。
夜は極端に冷える砂漠の気温差を利用してます。
深く水を貯めて軽くなった日中の暖かい空気は上昇し頂上から逃げます。
入ってみましたが、外側よりかなり涼しく 快適でした。


氷室の中から上を見上げました。
中で上を見る

[ 2016/10/29 15:38 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イラン・イスラム共和国 ➄ 

ナグシェ・ロスタム遺跡
ナグシェ・ロスタムは
ペルセポリスから 北西に車で15分位の所にあります。
アケメネス朝歴代の4人の王のお墓4つがあります。
高さ 40~50mの絶壁に刻まれております。
ダレイオス王は、その2号墓で(唯一銘文があります。)
ナグセ ロスタム遺跡ダイオレス1世他
きれいに撮影された写真を見つけました。  ↑
4つの王墓は十字形に切り込まれてます。
キリスト教・ユダヤ教・イスラム教 は、発祥が同じ宗教なのだそうです
ので
それらに先立つ拝火教(ゾロアスター教)は、
もしかしたら 十字形 の祖先(?) 。


右から2番目ダレイオス王の王墓
ダイオレス1世


上の写真の左下の 浮彫
ササン朝のシャプール1世が、
ローマ皇帝ヴァリアヌスを捕虜にした時
(A.D.260年)
ササン朝シャプール1世が
ペルシャ人の誇りとする浮彫。

拝火教(ゾロアスター教)の聖殿か  と、いわれてる
方形の建物。
方形の建物拝火教の神殿


拝火教(ゾロアスター教)のアフラマズダ から
王権を受けるアルダシール一世
       ⇓
ササン朝ペルシアの誕生(AD226年)
アフラマズダから王権を受けるササン朝ペルシアの誕生226AD
これをみるために はるばる日本からやってきました。

サフラン
sahurann.jpg
もしかして 原種(?)
そんなはずはないです。
[ 2016/10/29 13:47 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イラン・イスラム共和国 ④

シラーズの
こんなにきれいな ナシール・アル・モスク
(ローズモスクともいわれ)
ステンドグラスからの光が美しいです。
窓が低いのできれいになるそうです。
DSC08544.jpg
きれいな御婦人が、偶然わたしのデジカメの中に入りました。

シラーズの中心部からも岩山がしっかり近いです。
白人の外国人観光客も スカーフです。
DSC08554.jpg


どうやら サッカーのデモンストレーションのようです。
イランの有名なサッカー選手でしょうか・・・・
DSC08564.jpg


全部たべたような気がします。
(キャビア以外・・・・。 キャビアは禁止されてましたが、‘チョウザメには鱗がある’と決まり 今は貴重な輸出品だそうですね。)
典型的なイランの料理 ↓
img160.jpg



イランはバラのお国だそうです。
きれいなバラが沢山あります。
エラム・ガーデン ↓
(シラーズ大学付属植物園)
DSC08750.jpg


イランは 詩 が、盛んな国です。
すぐれた詩人がいます。
その中でも
イラン国はシラーズ市民の誇り 詩人ハーフエズの廟
ハーフエズ廟
DSC08741.jpg

ホテルのお土産やさん
DSC08753.jpg

[ 2016/10/28 20:47 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イラン・イスラム共和国 ③

ペルセポリス

シラーズの北東60kmにペルセポリスがあります。
ペレスポリス
ペルセポリスはアケメネス朝ペルシャのダリウス一世がBC520年に築きはじめました。その頃はスーサが政治の中心でありましたのでここは王の儀式・祝祭・属国からの謁見等をおこなう神聖な役割を持つ都であったようです。


目的地までのバスから見えるのは、
茶・赤・黄の筋が入った不毛の岩山と荒野です。
木は殆んど無く、草がポツリポツリと岩石砂漠・礫(れき)砂漠というようで痩せた土地です。
はじめはめずらしかったのですが、
この状態が続きます。
この国の都市は、このような厳しい条件の中で 
水のある オアシスから発達したのでしょう。

さあ、ペルセポリスが見えてきました。
DSC08581.jpg

ペルセポリス王宮全景    古代オリエントの美(週刊朝日百科)より
ペルセポリス

クセルクセス門    古代オリエントの美 より
クセルクセスの門

DSC08604.jpg

アパダーナ(謁見の間)
宗教・国事などの儀式が行われたもっとも重要な場所
本来36本の柱に支えられた
レバノン杉の屋根がかかった巨大な部屋でした。
ここで 王は諸国の使者を謁見しました。
アパダーナ謁見の間





アバダーナ(謁見の間)の東階段のレリーフ
西はリビア 南はエチオピア
北はスキタイ 東はガンダーラ
に至る23の属国からの使者の像がきざまれ
糸杉によって区切られてます。
アケメネス朝ペルシアは
古代オリエント世界を統一し
世界の中心として栄えました。
朝賢者行列浮彫

これを見るためにはるばるやってきました。 ↓
大切ゾロ

ダレイオス一世 の宮殿
DSC08687.jpg


ゾロアスター教のプラヴァシ
ペレスポリスの聖像プラヴァシ




お土産屋さんの飾り・・・・
DSC08693.jpg



[ 2016/10/27 09:34 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イラン・イスラム共和国 ②  

イランの地図です ↓
隣接する国は
イラク・トルコ・アルメニア・アゼルバイジャン・トルクメニスタン・アフガニスタン・パキスタン。
日本語表記はイラン・イスラム共和国。通称イラン。
 1930年代までは‘ペルシア’として知られてました。
世界有数の産油国です。
イラン地図
イランの歴史は古くB.C.3000年以来
B.C.500年頃 アケメネス朝が興り  
キュロス大王がペルシャ帝国を建国
古代オリエントの広大な領域を統治しました。
アケメネス朝は
マケドニア王国のアレキサンダー大王に滅ぼされるまで(B.C.330年)
すばらしい文明を謳歌しました。
政治は善政でユダヤ人のバビロン幽囚を開放しました。
又、ゾロアスター教(拝火教)を統治の理念としました。
その後、国土は分離し、いくつかの朝が登場し
226年 ササン朝 が建国されました。
ササン朝は度々ローマ帝国と軍事衝突し260年シャプール1世はローマ皇帝を打ち破りました。
(A.D,260年)
イランの方々(ササン朝ペルシャ)が誇る歴史上の事件です。
ナグシェ・ロスタムの摩崖王墓にその浮彫があります。
この事実からも わかるように
ササン朝はローマ帝国やイスラム帝国に大きく影響を与えました。
7世紀に入ると、
アラビア半島に興ったイスラーム勢力に敗北を重ね
651年を最後に、
皇帝が亡くなるとササン朝ペルシャは滅亡しました。



[ 2016/10/26 19:28 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イラン・イスラム共和国 ①

中東のイランイスラム共和国を観光してきました。
成田から11時間余 エミレーツ航空でアラブ首長国連邦のドバイ空港に到着 ↓
UAEドバイ空港 (1)
2年前に来た時から大きく変わってました。
緑豊かなロマンチックなあの温室は無くなり 
さらにさらに巨大な空港になってました。


ドバイからほとんど垂直に北に向かって エミレーツでテへランまで2時間余
エマーム・ホメイニ国際空港に到着です。
同じ産油国の飛行場なのにドバイとはえらい違いです。
テヘランエマームホメイニ国際空港
一昨年、アゼルバイジャンに行ったときとほぼ同じコースの飛行です。
今回は
窓際でなかったので 岩山・砂漠・オアシス都市の景色を上から見ることができませんでした。





さっそく観光です。
コレスタン宮殿 (別名 ‘鏡の宮殿’ )
ゴレスタン宮殿
19世紀ガシャール朝の頃から20世紀パフラヴィー朝までに建て増しを繰り返してきた宮殿です。
歴史あるイランの中では 新しい建物です。
ペルシャ式の庭
ペルシャ柄のタイル 絨毯 壁も天井も鏡のモザイクで輝くキラキラの部屋 高級な食器 各国からの献上品
シャー時代のペルシャの栄光(・・とか・・・)



そして 次は 絨毯博物館 です。
これも1976年に出来たばかりの博物館です。
絨毯博物館


このように1枚全部の図柄の物は作り方が難しいのだそうです。
絨毯博物館


なんと、この後 国内機で1時間余 シラーズまで・・・
テヘランの空港
シラーズ行きの待ち時間 ↑

やっと、シラーズにたどり着きました。
成田から何時間・・・・
ヘトヘトです。












・・・・・・・・♪・・・・・・



イラン観光の前に
イランへ調査研究のために訪れた方から
イランの御本を沢山お借りする事ができました。 ↓
頑張って予習しました。 
おかげ様にて 現地では楽しい時間が過ごせました。
イラン予習
私にも理解できるような解りやすい御本を4~5冊選んでいただけましたので
ホント、よかった。

それから  
現地で買い求めたという貴重なDVDをお借りしました。
馬の耳に念仏 とはこの事でしょうが、
拝見するに楽しく面白く 幸 でありました。
イランのDVD

[ 2016/10/23 23:24 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

ロシア大使館

27日ロシア大使館でお昼を戴く機会にめぐまれました。

狸穴のロシア大使館 です。 ↓
ロシアは広い・・・・
(そう、駐日ロシア大使館も広いです。)
大使館敷地の外側は警視庁が守ります。
a.jpg


マトリヨーシカ
これは フラクタルですね。
(ロシアでは1900年代に入って流行りはじめたのだそうです。
結構有名な話ですが、箱根の入れ子人形 が、元祖の説があります。)
 e (2)


アフアーシエヴァ・エフゲニー大使閣下が、お話くださいました。
c (2)
日本語も交えて 大変あたたかみのあるお話でした・・



通約は大使秘書テルスキフ・アレクサンダー殿
c (1)
秘書官殿のロシアについての説明です。
地図や有名な土地の紹介を兼ねて
ロシアと日本についてのお話
ロシアは面積は広いがとにかく寒い。
ロシアも日本も東南アジアも 農業国であったが、
日本も東南アジアも暖かいので穀物などが簡単に獲れ 豊  である。
ロシアは、
その寒さのために1年の4~5ケ月しか働けない・・・・
その農業は大変苛酷な労働ですが、半年以上は仕事がない。
だから多い時は8ケ月位 働かない。
ロシア人は土地を離れるという事が、フツーの事なのだそうです。(移民)

日本人は土地を離れるのは大変な事 
だから
日本人は 沢山・沢山のそれはそれはきめ細やかなルールを作り
そして、それを 日本人の多くは 実によく守る・・・・。
もしも、村でルールを守らない場合があったとすると、大変に厳しい事が起こります。
土地を離れないで、皆で協力しあって助け合っていれば、
なんとか糊口を凌ぐ事ができてきました。


ロシア人は、いやになるとすぐ外に出て
違う村を作ってしまう事まで が、あるそうです。
常にヒト・モノ・カネ・時間 が、不足してるそうです。
天然資源は豊富でも、
工業化を推進しても、1年に4ケ月間の労働に慣れてきたため
なかなか我慢が出来ないのだそうです。

日本人は凄いです。
あれ程の敗戦の中から工業化に成功した日本は世界の驚異です。
細やかなルール沢山のルール
 それを守る 国民性
これが、今日の日本の成功の秘密である。
と、
ロシア大使館秘書官殿の 
‘日本語’でのお話でございました。





在日ロシア大使館はとても広く
館内に職員の子息達のための
小・中・高等学校が、あるそうです。
その生徒さん達が 歌と踊りを披露してくれました。
e (1)
民族衣装で、それはそれは しっかりと、真面目に、真摯に そして可愛らしい御披露です・・・
私達には
本当にお馴染みのロシア民謡
や、
日本語での 日本の歌  ‘故郷 (ふるさと・♪兎追いしかの川~  )’
など いっぱい歌ってくれました。


とにかく かわいい・・・・
g (2)


赤いサラフアン  ・・・
i (1)


どんなにいい教育をしてるのでしょうか、
ピアノの演奏をしてるおばちゃん先生 達。
なんか ウルウル の、ロシア大使館・・・
母なるボルガ・大地に根を張る ロシア人の根性 が、目覚めてきてますね。
g (1)
それは、それで驚異・恐怖ではありますが・・・・





次に お部屋が変わりました。
昼食です。
大きな壁画のある部屋です。
作家は Tsereteli Zurab Tsereteli (グルジア出身 モスクワ在住)といいます。
モスクワには、彼の作品 ‘ピーター一世の像’ があるそうです。
ミハイル レルモント と共に 現在有名な画家という事です。
 k (2)



お料理はロシアの伝統料理でした。
ピロシキ・ボルシチ・ビーフストロガノフ・イクラ(キャビアではなかった)・サーモンなど
40%のウオッカ 
ウオッカはビーフに合うのだそうです。
そういえば たしかに おいしかった。
l (2)


アフアーシエヴァ・オリガ大使夫人 が、御挨拶くださいました。
(通訳のトウアヴァ・クデイナさんと)
k (1)

こちらの方は 大使館員です。主にバイオの研究をしてるのだそうです。
彼女のお子さん二人は本日の歌と踊りに加わってました。
(かわいらしい男の子 と、三つ編みのブロンンドのお嬢さん)
m.jpg

[ 2016/09/29 23:39 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

ベラルーシ大使館

ベラルーシ大使館です。
池田山の高級住宅地
(皇后陛下の御実家近く・・・・)
旅行の説明会ですが、
大使様も御挨拶してくださいました。
(イケメン通訳の外交官と共に・・・・・)




国旗ベラルーシ国旗IMG_20160825_225431 - コピー
ベラルーシ国旗
大使館内から見ました。




ベラルーシ大使館池田山


大使様 と、通訳の外交官プーシキンさん
大使と通訳 - コピー




1991年にソ連から独立した新しい国(人口950万人)です。
ベラは白
ルーシはロシア
昔から 白(はく)ロシアと呼ばれていた地方が
あったような気がします。
白はこの場合 ‘西’ を、意味するようです。
19世紀末に民族自決(この言葉の意味がよく分からない)の運動が高まる。
過去に
バルト3国、ポーランド、フランス、(ドイツ)、モンゴル、ロシアなどに組み入れられました。
移住をする人の多い国です。
(現在、ロシアと経済統合をめざしているが、うまくいってないそうです。
基本的に親ロシアの政策なのだそうです。)

チェルノブイリの被害がウクライナよりも風の具合で大きく
最も重要な地域だそうです。
規模も被害のおおきさもも比べにならない程
小さかった
福島に対して今でも救援してます。

農業国で、かっては豊かな自然によって、フランスにお金を貸してた事もあったそうです。
今は、IT産業が盛んな国です。

ヨーロッパに残された最後の原生林ベラヴェジの森があります。
沢山の湖の国。


ストローで造られた民芸品が飾られてました。
おみやげ

ヨーロッパバイソンのポスターも ありました。
ヨーロッパバイソンのポスター



ミール城
首都ミンスク(190万人)から100km程の所のある15世紀末のゴシック様式の貴族のお城
(完成は、16世紀にルネサンス様式として)
ミール城14Cゴシック様式


じゃがいもが採れるお国です。
じゃがいもの種類は250種以上もあるそうです。
じゃがいものパンケーキ
ドラニキ ↓
トラニキ
それから スメタナ というサワークリーム
      バルサム という40%のアルコール飲料!
など・・・・・。
そうそう、あのシャガール生誕の地であります。

*なお、ベラルーシは 世界一美人の多い国だそうです。
  美人の産地 とでも、いうのでしょうか。
BEAUTY 見てるだけでうっとり










          ・・・・・・・・♪・・・・・・



ねむの木公園のもう一つの入り口
皇后陛下

[ 2016/08/26 20:48 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

日章丸 出光佐三

 新聞で  ‘出光’ の事を読みました・・・・  ↓
出光新聞
出光新聞に


ちょうど イランの御本をお借りして読んでました。
日本の出光の日章丸が、イランに石油を買いに行ったというのを読んました。
その辺のところを、もう少し知りたくて  
百田尚樹 の 海賊とよばれた男(上下)
を アマゾンから 取り寄せてみました・・・・
小説は楽しい・・・
ドラマチックで解りやすく
簡単に状況を把握する事ができます。
途中まで読んでますが、
おもしろい・・・・・・!

日章丸

先の大戦は、
油戦争 ともいってもいいといわれてます。
1滴の油も採れない我が国では、
油は、
油の1滴、血の1滴。
と例えられるほど 貴重です・・・・
出光は その 先見の明 を持って
敗戦後、7 、8年にして世界一のタンカーといわれる
日章丸で、イランから石油を買い付けました。
イランは
ソ連が勝手にイランに駐留し
英国によって石油の利権を搾取され
米国の脅しに悩んでました・・・
出光は、英国、米国ある意味世界中の反撃を覚悟して
超極秘に事を運び
さらにある意味 次の油戦争に挑みました・・・・
昭和28年3月23日日章丸は神戸港を出港しました。
4月9日シャット・アルアラブ河口に着きました…
そして 4月10日 
チグリス川とユーフラテス川が合流する
アルヴァンド河( この河はイランとイラクの国境) を遡り
イラン側の大歓声の中 アバダン に到着しました。

油問題は、今でも将来においても解決できないでしょう・・・
重要性においても、廻りの環境もドンドン変わって来てます し、
変わるでしょう・・・・

 昭和20年8月は世界一貧しい国といわれた
我 日本の
自力での奇蹟の復興 に感動してます。
アジア、東欧、アフリカ、諸国様
頑張りましょう・・・・・


この度の騒動には
出光美術館の事も何か問題に含まれてるらしい・・・
ので   シンパイ。
[ 2016/08/15 13:22 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

迎賓館赤坂離宮 国宝

迎賓館赤坂離宮に入館することが出来ました。
( 迎賓館赤坂離宮は 平成21年に国宝指定を受けました。 )
迎賓館赤坂離宮増田彰久119kb
写真は増田彰久氏2009年



迎賓館赤坂離宮は明治42年東宮御所として建設されました。
当時日本の建築美術工芸の各分野を代表した人々が総力を結集した
明治文化を象徴する建造物
築後100年をむかえた平成21年国宝に指定されました。
赤坂離宮160kb
宮殿建築としてバロック様式(16世紀中ごろ~18世紀初期)の建造物の代表作の
フランスのヴェルサイユ宮殿をモデルとし
イギリスのバッキンガム宮殿を参考にして
ネオ・バロック様式(18世紀中ごろ)なのだそうです。

バロックとは、グロテスクな装飾過剰な大仰な建築に対する蔑称とおもってますが、
それは、初期のマニエリスム(16C~17C頃)からの移行の頃の事のようで、
ここでいう バロック建築は、19世紀の様式氾濫期になると 
‘国家建築にふさわしい様式’として復興してきたのをいうようです。
それを、ネオバロックといってるのでしょうか・・・・。
金と白の優雅な室内装飾はむしろロココ!
私の知ってる妖しさのロココとは
少し趣を異にしてるとは思いますが・・・・・・・・♪


お部屋はどれもため息がでるほど うつくしい。
ヨーロッパ等で沢山の宮殿をみてますが、
ほとんど、観光用になっていていわば、博物館的か棺。
ここ迎賓館赤坂離宮は生きてます。
現役の迎賓館として活躍してます。
 (個人的には、この博物館、棺は博物的できらいではないです。好きデス。)


朝日の間
壁は京都西陣の金華山織
 朝日の間75kb



2階大ホール出入口の壁面は
小磯良平の油絵 絵画と音楽
2階大ホール出入口小磯良平絵画音楽104

他に、
彩鸞の間
花鳥の間(いわゆる七宝の間)
羽衣の間(大きなシャンデリア3基)
など・・・・

昔、
たしか、東宮御所又は赤坂離宮と呼ばれてましたね。
現在の都庭園美術館が、 芝・白金の迎賓館でした。
あれから何年・・・・・。
かってニューオータニに行く時 
偶然 迎賓館前に来てしまいました。
いったいこれは、何!
正門の前で その美しさにみとれてしまいました。
な~んとなく、ものの本やテレビなどの報道でしってたのでしょうね。
赤坂離宮・旧東宮御所という事はすぐに思い出しましたが、
正門からの
全体的に透明感のある美しい優美な建物にすっかり魅せられてしまいした。
まさか
その中に入れれとは・・・・



とても、沢山の見学者で セキュリテイーに  時間がかかりました。

一句できました。
‘迎賓館  セキュリテイーで
 日焼けかな’

透明のペットボトルの水はOKですが、必ず係官の前で一口飲まなければなりません。
私も、一口飲みました。


[ 2016/08/10 18:33 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

イタリアからのお友達

陛下 金メダルの
猛暑の中
イタリアの元気いっぱいの御婦人が、我が家へ・・・・。
去年、 ボローニア駅で知り合いました。
本当に 日本にやってきました。
私の単語だけの英語です。
スマホ、タブレット、電子辞書・・・・・
あらん限りの電子機器を駆使しても
ダメはダメ・・・・ (ゴメンネ。)

よく喋り、よく食べ、よく動く
工学系のエレクトロニックな美人です。
エマヌエラサンの東京駅
日本のエレクトロンは、世界一なのだそうです・・・・
そして
人情味豊かで、人は優しい、何よりも安全・・・・・・
米国より いいんだそうです。
レオナルド・ダ・ヴィンチ のお国なのにね。

ヴェネチア・ルネサンス展をみたばかりなので
お話持ち出してみましたが、
反応はいまいち・・・・。
お寿司屋に 鯖のカラパッチョ がありましたので 注文してみました。
カラパッチョ、カラパッチョ とキャッ、キャッ と喜んでる私に
彼女はいいました。
 ‘ カラバッジョ・・・・・! ’

    ‘・・・・・・・・・・!?!’
(念のため、wikiでスペル検索してみましたが、やっぱ 字が、スペルが 違います。
 日本の 沢庵 か、空也蒸 みたいなものかしら・・・)




ビッグサイト と、 科学未来館 で開館から閉館まで目いっぱいがんばり  勉強してました。
嵐のように過ぎ去りました


       
    ・・・♪・・・



今度、移転する築地市場へ、
波除神社の雌の大獅子(大きいです。高さは台座から2,2m)
波除



 お台場のヒルトンホテルから レインボーブリッジ (埋め立て地・ステキ ステキ)
虹橋DSC_0029





浅草・・・・
物凄く 混んでます。
浅草






[ 2016/08/09 20:59 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

今日は鰻でした。
永田町鰻懐石 山の茶屋 です。
永田町です。
国会議事堂近くの・・・
山王日枝神社の境内内といってもいいでしょう。
都心とは思えないこのたたずまい。
山の茶屋
場所柄 センセイ方の利用もかっては多かったそうですが、
時代は変わりました。
希望すれば 、だれでも・私でも行けます。



さっそく料理です。 ↓
くりからの白焼き
くりから は 倶利伽羅不動尊からの名前です。
剣を持って龍を倒すお不動さまだそうです。
くりからの白焼き





これが山の茶屋の鰻です。
鰻の蒲焼




あっという間の事でした。


戦いすんで 

この魅力的な器は
江戸時代のもので
その頃の特徴がよく出てるのだそうです・・・
そういわれれば、そうでしょうか・・
私にはよく解りません。
1枚30万円位する とのこと。
番町が、近い(?)
江戸時代30万円


ちなみに
床の間に飾ってある 似たような(同じような?)お皿は
こちらは、現代のものでして コピーだそうです。
コピー




3代目遠藤社長の挨拶。
政財界が、贔屓する老舗
馥郁とした香と深い味わい・・・・
嘉永2年開業の芋洗坂の 大和田 のたれを継承してるのだそうです。
空襲の際は たれ を、入れた かめ は、庭に埋めてたそうです。
遠藤社長





大和田 (2)
[ 2016/07/26 22:29 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

ササン朝ペルシヤ

ペルシャ(イラン)の本を読んでました。
見覚えのある写真をみつけました。
あまりしられてませんが、
イラン ガジャール朝第四代 ナーセロッデイーン・シャー(在位1848~96年)の肖像です。
その本によると、イランでは
水ギセルや紅茶のポットやグラスにその肖像が入ってるものが 
それはそれは沢山、市中で売られてるそうです。
私は、何年か前に銀座の道端などでイラン人から買いました。
いろいろなものがあります。
その中の赤いガラス製の人物の名前が 本日判明しました。
写真下の本が その本 です。
お借りしたものですが、偶然の出会いにうれしくなりました。
イランを知るためのナーセロッデイーンシャー



もっと沢山あったはず・・・・
青いガラスの瓶や、マカオで買った瓶もあったはずですが、
どこかにいってしまいました。
(意識が変わると管理がいい加減になります。
物や本の置き場は戦いデス。
ササン朝ペルシャ - コピー
もう、戻れないのですが
好奇心や興味が変わっても 同じ人 です。
こうして別の角度から同じ物を見てます。
やっぱり素敵。




その変わる前の趣味 ↓
漆胡瓶 胡はペルシア 鳥
漆胡瓶 
胡はペルシャの事だそうです。
漆です。
鳥ですね。

シルクロード で、正倉院まで。

[ 2016/07/17 20:33 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

シンガポールのお話

偶然ですが、
先週は、
シンガポールに旅行した知人 3人(別々にです) と、お話しました・・・・
私は行った事がないですが、
きっと人気国なのでしょうね。
お話聞くのは 楽しい。
シンガポールから お電話を戴いたり
マーライオンのチョコレートまでです。
せっかくですので 写真を写しました。
シンガポール

、私はミーハーな気持ちで ネット逍遥!

シンガポール
東南アジアの主権都市国家・島国。
高度に都市化され
原初の現存植生はほとんどない。
一貫して埋め立てにより拡大してきた。
凄い カッコイイ 国だわ。
人が創った都市なんですね。
マーライオンは、そういう意味で象徴的な存在と思います。

(本島と60以上の島々から構成されてる。)
1819年トーマス・ラッフルズがジョホール王国からの許可を得て
イギリス東インド会社の公易所として設立。1826年英国の海峡植民地になりました。
第二次世界大戦の間は日本になりました。
1963年シンガポールは英国から独立しました。
人口 540万人
7割が華人


本日銀座で
先日、オープンした 東急プラザ銀座 で
シンガポールの大切なお品 TWGtea1837年 を見つけてしまいました。
日本では、3~4軒目らしいです。
新茶は高価そうなので ロイヤルダージリン にしました。
紅茶シンガポール


東急プラザ銀座すごい・・・
地下では、キャビアのサンドイッチ  6000円・・・・。
おいしいのでしょうね。
キャビアサンド
20160711_173250.jpg
買わないで写真を写させてもらいました
カッコイイ お姉さんも・・・ 宣伝用のモデルさんみたい。








[ 2016/07/11 23:56 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

旧前田家本邸(洋館)

旧前田家本邸(洋館) を見学してきました。
昭和4年旧加賀百万石前田家の16代当主前田利為(としなり)公爵の本邸として建てられました。
当時は東洋一の邸宅といわれました。
重要文化財 
現在駒場公園内にあります。

きれいな写真をネットでみつけました。 ↓

計画 東京帝大教授 塚本清
設計 宮内庁の担当技師 高橋貞太郎
英国ヴィクトリアン様式(ゴシック・リヴァイヴァル)といわれてますが、
駒場の田園の野趣にあわせた
イギリスのチューダ様式を取り入れてます。
旧前田家本館(洋館)
講師の深江芳江氏(西洋室内装飾史家)の3っつの建築様式の説明がありました。
ヴィクトリアン様式(ゴシック・リヴァイヴァル): 1800年代~ 赤レンガを多用 中世のお城のような飾り 白い石が特徴
テューダ様式 ハーフテインバー様式      :  1500年代~  材木を用いる 白い漆喰を飾りとして使ってる 北ヨーロッパな                                  どに多い 
ネオ・クラシック(新古典)様式      :1700年代~  ヴィクトリア女王の約100年前頃 (1740年頃にポンペイの遺跡が
                                   発見され   ギリシャやローマのクラシック様式(パルテノン・日銀など)に                                    影響を受けたそうです。


建築様式の例







旧前田家のこの一帯は明治期には、駒場農学校がありました。
その後、東京帝大農学部になり本郷に移転しました。
旧加賀藩主前田家が、本郷から移ってきて逆転の形になりました。
戦後米軍に接収され昭和32年解除されるまで連合軍極東軍司令官の官邸などに使用されました。
前田利為氏の長女は あの酒井美意子氏です。
建物のプライベート部分の2階の優雅な長女室もみる事ができました。
このあたりの 華族様の歴史の資料かとも おもわれるお話は
三島由紀夫が、小説にしてるように思います。
おそらく美意子様がモデルと思われる部分が多いです。
(なんせ、ミシマは、とてつもない・やんごとなき御婦人と歌舞伎座でお見合いをした との噂があるほど
ハイソ には詳しい 小説家デス。)


                     ♪


夢の前田侯爵邸訪問の前は、
ランチの現実がありました。
フランス料理屋です。
物凄くステキな建物でした。
新しいレストランで、結婚式もおこなえるそうです。
メゾン エメヴィベール
現場・現役の美味しい食事とワインの強さ・・・・
思いかえしすと、前田邸よりも印象が強くて困りました・・・
きれいな建物には 何とか様式 は、打っ飛んでしまいました。
[ 2016/07/10 23:38 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

エストニ屋!

ネーメ・ヤルヴィが来日してるようです。 ↓
N響の演奏が続いてます。
(体調が少し心配されてたようです)

先週、NHK・FMで
ベートーヴェンの6番 田園 (生放送でした。)を聴きました。
ネーメヤルヴィ

我らが
パーヴォ・ヤルヴィー ↓
N響 首席指揮者
パーヴォ
案内の池辺晉一郎氏いわく
‘まるで日本の歌舞伎界のようです。親子共演・・・・ ’

         ・・♪・・


と、私も思ってました。
ら、
土曜日のNHK・FM   クラシックの迷宮  で
片山杜秀氏が、
クリスチャン・ヤルヴィ を紹介  ↓
クリスチヤンヤルヴィ
そう、パーヴォの弟 34歳!
ネーメ・ヤルヴィの次男さんです・・・


旧ソ連 エストニアは、タリン生まれ のヤルヴィ家です。
この天才一家はNYで音楽教育を受け
年代によってNY生活の時間がちがいます。

クリスチャンは、チャイコフスキーの雪姫 を指揮しました。
(録音から CD化されたもの)
そういう曲を知らなかったので 嬉しかった。
北欧の民話に基づく雪姫の悲恋
人を愛すると、雪姫は消えなければなりません。
NY育ちのクリスチャン・・・
父の祖国はソ連・エストニア。
フインランド出身のエサペッカ・サロネンにロスアンジェルスで師事





ちょっと 楽しみな一家

待ってました エストニ屋!
待っていたとは ありがてえ


[ 2016/05/22 21:49 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

ナゴルノカラバフ問題


昨日14日(木)の新聞記事 ↓

ナゴルノカラバフ
ナゴルノカラバフ問題

両国共に問題を抱えてるのですね。



[ 2016/04/16 11:18 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

ナゴルノカラバフ

アルメニアとアゼルバイジャンに 大きな衝突があった事が新聞に載ってました。

ロシアとトルコが対立してます。
ロシアが支援してるアルメニア

トルコが支援してるアゼルバイジャン
が、
ナゴルノカラバフ(アゼルバイジャン領内にある地方)で対立してます。
アゼルは世界有数の産油国で カスピ海から地中海へのパイプラインが通ってます。

私は、一昨年このコーカサス地方に観光にいってきました。
ので、
このニュースが、気になりました・・・・。
アゼルでは、’94年の大きな衝突の犠牲者の碑もしっかりみました・・・。
アゼル~アルメニア は、直接出入国できません。
その時は、アゼル~ジョウージア経由~アルメニア でした。
ジョージア → ←アルメニア

国境は、緩衝地帯約500mを 
パスポートを確認しながら 水を持って スーツケースをガラガラ引っ張って 越えました・・・。
思い出です・・・

      ・・・一昨年の旅行写真・・・

↓の写真は アゼルバイジャンの首都バクーにある
殉教者の小径
1990年のソ連
1994年のアルメニア
との衝突のときの
戦死者の碑です。

カスピ海を美しく眺める事ができる小高い丘の共同墓地でした・・
バクーナゴルノカラバフ

そして その丘からみた カスピ海です。
アゼルバイジャン共和国国旗もみえました。
2014_1023_181404-DSC07405.jpg

アルメニアではこのような場所には案内されませんでした・・・
あるのか、ないのかもわかりませんが・・・・
両国共にきびしい現実があるのでしょうね。



新聞記事 ↓
アゼル アルメニア
[ 2016/04/06 19:42 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

旧岩崎邸二つ

旧岩崎邸二つを見学してきました
湯島の旧岩崎本邸 と、鳥居坂の国際文化会館です。


まあ、今さらですが、
 ジョサイア・コンドルの岩崎本邸です。
15000坪 20棟
は、
1/3敷地 3棟 になってしまいました。
  昭和36年、44年、平成11年に暫時重文指定されました。 
岩崎邸 69KB


コンドルの主な建築
コンドルの主な建築


その写真
コンドルの建築


私も写しました。
岩崎邸138KB



           ・・♪・・

鳥居坂の国際文化会館です。
岩崎小弥太邸跡
名勝庭園と由緒ある建築
多度津藩 京極家のものだったそうです。

前川國男 板倉準三 吉村順三 設計で
ロックフエラー財団等の支援で1955年開館
国の登録有形文化財
国際文化会館

私は、どうもこの辺りは
三島由紀夫の 豊穣の海 に、
登場する
あの令嬢聡子の綾倉伯爵家の邸宅は
この辺ではないかと想像してます。
春の雪 の、モデルの地ではないでしょうか。
ちなみにミシマはこの会舘で結婚式の披露宴をしてます・・・・


きれいなお庭 ↓
国際文化会館140kb




  情熱的に解説をして下さる柴田様
 (公益財団法人国際文化会館理事長補佐です。
     理事長は明石康氏)
会館は 国際相互理解の増進のための迎賓館の役割をしてます。
              写真は、会館での
天覧歌舞伎について
  団十郎丈のお話も登場しました・・・・
公益財団法人90kb
 


会館内のレストランSAKURA でランチ。 ほたて貝 です。
国際文化会館67Kb
[ 2016/03/15 12:20 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

ボスニアヘルツエゴビナネ

2回 バルカン半島(旧ユーゴ)を観光旅行してます。
2008年秋 と、2010年春です・・・
その頃は、旧ユーゴスラビア連邦は、6ケ国でした。
今は、8ケ国になりました。
セルビアモンテネグロが、セルビアとモンテネグロとコソボにわかれたのです。

地図の黄緑色がクロアチアです。ドブロブニクが飛び地になってます。
明るい茶色のボスニアヘルテェゴビナがわずかにアドリア海の海岸線に入り込んでます。
ネウムです。人口4300人。21kmの海岸線を死守してます。
この辺りが東西の教会 と、東西のローマが、分離した辺りになるようです。
イスラム教やユダヤ教も混在してます。
バルカン半島







かなり前、テレビの番組で ‘モルドヴァの中世の修道院群’ を知り
ルーマニアの‘モルドバ地方の中世の修道院群’ の見学にいってきました・・・・
行きたくて、行きたくてルーマニアのモルドヴァにいってきました。
この様式は、同じ時に見たブルガニアに僅かにある位で、他にはありません。
気になって調べましたが、分からないままでした。
その後、偶然、三宅理一先生からお話を伺いました。
確定はされませんでしたが、
セルビア辺り が、発祥らしい・・・ 
という事でした。 
(↓の御著書は、その後の発表)
img097.jpg

モルドヴァ壁画は、トルコ軍がルーマニアに攻め入った残酷な場面と正教の神聖な場面がほとんどでした。
その後、 セルビアモンテヌグロ にもゆきました。
(私は、その形跡は‘ 現地にも本にも’ 理解を見出す事が、できません・・・
今なお 研究調査中であるらしいです。))





中世の東方正教修道院壁画とは別に
バルカン半島は、火薬庫デス。
旧ユーゴの話には、
小説家 イヴォ・アンドリチ 抜きにして語る事はできません。
このノーベル賞作家は、母国ボスニアについて
実に暖かく解りやすく感動的に描いてます。

ボスニアのヴィシュグラードという所の ドリナ川 にかかる ソコルルメフトパシャ橋という橋がモデルです。
この橋は、当時のトルコ国内を含めても3番以内に入る位の中世の立派な橋です。

ソコルルメフトパシャ橋

ノーベル賞受賞作
ドリナの橋

img098.jpg






イヴォ・アンドリッチ
イヴォアンドリッチ

この小説も素晴らしいです。
ボスニア
      






 ・・・・・・・

ネウム ↓
ボスニア・ヘルテェゴビナ の21kmの海岸線。
ネウム

       ・・・・・・

ボスニア・ヘルテェゴビナ のサラエボのラテン橋 ↓
(この橋は、第一次世界大戦のきっかけになった
オーストリア皇太子夫妻が、セルビア人の活動家に射殺された橋。)
サレエヴォラテン橋サラエボ事件のあった
 


・・・・

以前
同じ内容の旅行記を観光直後に書きました。
感想も内容も
ほとんど同じと思いますが、
なぜか、もう一度書きたくなりました・・・
東西のキリスト教のTOPの記事がきっかけでしょうか・・・。
アルゼンチン出身の法王様(両親はイタリア移民)と
ロシア正教様が、キューバで・・・
オバマ氏が、カストロ氏が、プーチン氏が、
そのあたりでしょうか


イヴォ・アンドリッチの  ドリナの橋 は、素晴らしい小説です。
沢山 本はよんでますが、
こんなに感動した本は少ないです。
振り返って 思い出して その感激は、胸に迫ってきます。
いいもんです。

政治的にも、経済的にも、それ程必要とされてないこの地に
この橋を
イスラム世界第3番目に立派な橋が あります。
ドリナの橋 には、もう一度行きたい。



[ 2016/02/21 21:52 ] 旅行 | TB(0) | CM(1)

このガチャガチャ感が・・・

このガチャガチャ感が たまらない・・・
サンマリノ共和国の10月のお土産やさんのデイスプレイ・・・・・。

DSC08243 - コピー



同じくサンマリノ共和国
道ばたのホットワイン・・・
(サンマリノ版のグリューワイン!)
DSC08234.jpg







12月24日の twitter から
父ちゃん返せ、母ちゃん返せ・・・・
父ちゃんと母ちゃんを返せ!


[ 2015/12/27 17:59 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

黒いマリア

3冊になりました。 ↓
南欧、フランスの地中海沿岸地帯は、あまり興味がなかったのですが、
観光に行ったおかげで 気になり始めました。
小国巡り が、目的でした。 のに、

現場の強さです。
カルマグの湿地帯・黒いマリア・・・・  これです。 
黒いマリア
黒いマリアは、神秘的・秘儀的要素が強いのかと、思ってましたが、
そうとばかりは いってません。
むしろ、反対で どうやら
地母神・自然神・健康的な母なる女神の象徴のようです。
まして、キリストのお母さんの聖母マリア様と思ってましたが、
多くはマグダラのマリア のようです。
黒いマリアは、世界中に450位あるそうです。
沢山ありますね。




[ 2015/11/22 16:19 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

アンドラのプレロマネスク教会

ピレネー山脈の山の中の小さな国 アンドラ共和国 
この辺りはフランスの南西部、スペインの北東部になります。
11世紀頃までにプレロマネスク様式の教会の建物が沢山あります。
プレロマネスク様式は、西ヨーロッパで生まれ、主にフランスを中心に広まったそうですが、
レコンキスタの影響などもあり このピレネーの山の中では流行ったそうです。
必ず、Belltower があります。
タクシーで紅葉、黄葉の中、 4~5個の教会を見て回りました。
前に4つみてますので 計8っつのプレロマネスク様式教会見物でした。
(ガイドブックで、調べましたが、あまりきちんとした制作年代は、分かりません)

かなり高い場所に登りました。
学生ふうの若者2~3人が 自転車で到着!
お弁当を食べてました。
ロマネスク教会聖クリストフアー
ロマネスク教会・聖クリストフアー
部分13世紀成立、16世紀のもの。
belltowerが2階にあり、これはアンドラで唯一だそうです。


町の方に少し降りてきて の教会
モザイクの絵の飾りがありました。
モザイクの教会
名前が分かりません。
調べてみましたが、ガイドブックにも登場してません。
いわば、
日本の地方都市のちょっとした あまり有名でないお寺か、神社のようなものでしょうか。



町の中に溶け込んでます。
部分12世紀 17世紀の設立のようです。
国民の集会場が繋がっていて、博物館もあるようです。
聖コルネリ 聖セブリア教会と集会所
聖コルネリ・聖セブリア教会と集会所




町のなかの、いわば坂の上の教会
聖クレメンス教会
聖クレメンス教会


このあたりのプレロマネスク教会群は、そうプレというよりはプテイといってもいいくらい 小さな建物の教会群 です。
お土産やで買ったガイドブックにはプレが付いてなくてロマネスクとなってます。
8っつ中、内部の見学が出来たのは一つでした。古いフレスコ壁画(天井は18世紀の新しいもの)でした。

小さな教会で思い出すのは、キプロス島のキプロス共和国の山の中の教会群です。
東方正教 系列の教会でした。
地域上、石のがっちりとした 民家風のように・隠れるように密やかに
内部は これでもかのすばらしいフレスコ壁画の 12月に訪れたキプロス島の教会でした・・・。




[ 2015/11/09 22:40 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

スイス等

観光旅行で、時間を持て余しては・・・・・と、の思いから

葉室麟の蜩ノ記・ひぐらしノき (軽い文庫本、読みかけ、を もってゆきました。)↓

蜩ノ記
あまり読めませんでした。


環境があわないのです・・・・
スタンプ、ワイン、葡萄畑、聖ミカエル教会、
シャンパンブレックフアアスト、クロワッサン・・・・。
蜩ノき
もっと、あわない状況も、経験したことは、あるでしょうが・・・・・
なんか、読めませんでした。





・・・・スイス・・・・について
スイス連邦は、正式名称は4種の公用語示されるそうです。
但し、コイン等の様に余裕がない場合は、ラテン語になるそうです。
ラテン語 : Helvetia(ヘルヴェテイア)

ドイツ語 : Schweiz
フランス語 :Suisse
イタリア語 : Svizzera
ロマンシュ語 : Svizra ←絶滅の危機の語
えーと、英語は : Switzerland......。
そういえば、オリンピックの時、なんか思ったようにおもいます。



御嶽海関!!
御嶽海関
尾車親方の 話
江戸の大関 より、故郷(くに)の三段目・・・・。
[ 2015/11/04 21:44 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

ヨーロッパ小国、飛び地 大周遊⑩

バルセロナ
まもなく 完成の
サグラダ・フアミリア も、みてきました。
2026年完成するそうです。もうすぐ・・・
日本人彫刻家外尾悦郎氏の驚く程の能力により
完成が近づいたのだそうです。
予定より144年短縮されました。

私の目にも 以前、見た頃よりも、びっくりする程 進んでみえました。
20151022_123102.jpg

今回は、ヨーロッパ小国 5
      自称独立国   1
      飛び地      2
      大国       4
計             12

10日間で巡る 大周遊でした。

今回は、
シェンゲン協定のおかげで (その協定に参加してる国も、おそらくしてない国も)
国境の検閲は ありませんでした。
国境の表示もめだたなく いわれても分らないのが、多く
注意してデジカメを、構えてましたが、撮れない所が多かったです。
‘国境’のスりルに興味がありますので
少し、拍子抜けです。
まあ、これだけの国々の国境 の検問にいちいち時間をかけてたら
この強行軍は、無理だったでしょう。
改めて ‘旅行社の計画’ の、見事さに 乾杯!


小国は観光案内所などで、
パスポートに国のスタンプを押してくれますので、
頑張って押してもらいました。
セボルガ共和国でも 押してもらいました。
この国の場合は
あまり、しっかり認めてもらえてないそうで、
パスポートへの スタンプは歓迎されない そうですが・・・・・・



ブログも、大急ぎでしたので、
記憶の曖昧さ や、うっかり
があるでしょう。
気が付きましたら 訂正 もいたします。


[ 2015/10/28 20:42 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

ヨーロッパ小国、飛び地 大周遊⑨

ピレネー山の山の中 アンドラ公国 です。
そういえば、オリンピックなどの開会式の時
アンドラ という国を聞いたことがあります。

アンドラ公国も例によって 教会と博物館 の見学です。
お城はなかったような気がします。
(予習不足だわ。ちゃんと調べてから行かないと 面白味って半減します。)

首都アンドラ・ラ・ベリヤ

沢山のプレロマネスク様式の教会があります。
中は、入れない事が多く
小さな、素朴な教会は外側から見学。
サンチィアゴ コンポステラーズに向かっての
巡礼の道筋にはやや外れてるの感はありますが、
そう遠くではないので、穏やかに影響・・・・・・でしょうか
ピレネー山脈の山の中の小さな国・・・・。


そのプレロマネスク様式の ‘The lovely old church 聖コロマ教会’
DSC08407 - コピー
12世紀頃からのようです。



聖ミカエル教会
DSC08423.jpg
上記のコロマ教会によく似てますが、鐘楼が角ばってます。
近くに湖があるようですが、みつかりません・・



聖ミカエル修道院内の祭壇
DSC08440.jpg
(上記のミカエル教会とは、ちがいます。)


聖エステヴァ教会
DSC08450.jpg


他に、3つか4つのプレロマネスク様式の教会をタクシーで、見て回りました。
ちょっと、分からなくなってます。地図とスマホで後程、確認します。
このプレロマネスク様式は、少し調べてみましたが、まだよく解りません。
確かに、ロマネスク様式に似てますし、プレと、言われてるだけあって古いという印象はあります。
それに、素朴ですし・・・。
特一番古い
聖コロマ教会は、プレロマネスク様式時代のものか、(つまり11世紀以前)
か、
プレロマネスク様式として
13世紀以後に建てられたのかが、区別できません。(中に入れず残念デス・・・。)


     ・・・・・・・




博物館です。
古い貧しい民家博物館
内部は、確かに豊かとはいえませんでした。
この寒い地方の当時が、忍ばれます。
それでも、外側は 石作りでしっかりしてます。
DSC08425.jpg


アンドラ公国はタバコが重要な産業だそうです。
タバコの葉が、1本干してありました。
DSC08433.jpg


こちらは、金持ちの民家博物館
タバコが、沢山あります。
DSC08459.jpg


ちなみに 道中見かけたタバコ畑
この季節は刈り取った後なので、
後から生えたものだそうです。
DSC08414.jpg


貧しい家の最後の晩餐図
DSC08431.jpg

金持ちの家の最後の晩餐図
DSC08457.jpg



           ・・・・(^^♪・・・・



アンドラ公国生まれのガイドさん・・・
お父さんがアンドラ人、お母さんがフランス人。
登山ガイド だそうですが、
暇な季節は 私達に アンドラ案内をします。
DSC08438.jpg


先程の博物館のやさしい学芸員さん。
DSC08429.jpg

標高1400mくらいの寒い国ですが、
温かい人情が印象的でした。
犬にまで表情がありました。


            ・・・・♪・・・


夜:議事堂前広場の印象に残る飾り
DSC08486.jpg


朝:ホテルは
シャンパンブレックフアースト
20151022_073523.jpg






[ 2015/10/28 20:39 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

ヨーロッパ小国、飛び地 大周遊⑧

モナコからモンペリエに向かい  フランス内のスペインの飛び地、リヴィア です。

ニース~カンヌを経てプロヴァンス地方です。
エクサン・プロヴァンスあたりでは、
セザンヌ巨匠の サント・ヴィクトワール山を望みます。
十字架もみました。
そう、
ゴッホ ゴーギャンなどの多くの画家に愛された地域です。
アルルにさしかかります。
この辺りは ローヌ川と地中海の、
カマルグの湿地帯  といわれてるそうで、塩生植物などの珍しい生態系のある土地です。
映画 ‘アルベール・ラモリスの 白い馬 ’ の白い馬もこの辺りが産地です・・・

アルルの女
ゴッホの絵にもありますが、
同名の小説・アルルの女 ( アルフオンス・ドーデー作) に象徴される 色の濃い女 が、住んでます。
この小説は ビゼーの歌劇 アルルの女 として有名です。
ドーデーのアルルの女は未だよんでませんが、
それにしても、 ‘最後の授業’ とは、北と南・・・・

黒い聖母 
 は、
ヨーロッパ各地に ある意味 隠れるように、ある意味 珍しがられて 知られてます。
秘儀的にか、
もともと キリスト教信仰以前に
オリエント一帯に広まっていた 原始信仰・大地母信仰 に基づいてるという説が、強いようです。
発祥は エジプト説、インド説(ロマ発祥の地ともいわれてる)
この地の近くの サン・マリード・ラ・メールのサント・マリー教会にも黒いマリア様像があります。
ロマの巡礼地としてゆうめいです。

♪: エミール・サイヤン ‘フランスの黒いマリア様とその起源’
                ( 黒いマリアの最初の本格的研究)

♪: なんと、山形県鶴岡市の鶴岡カトリック教会にも
    黒いマリア様像があるそうです。明治36年フランスのデリヴランド修道院からの寄贈だそうです。



          ・・・・・・・・・・

この付近からのプロヴァンス地方西部には、
ローマ時代の遺跡が多く、コロセウムなどの古い建造物が多いそうです。
飲料水 ペリエ の産地モンペリエ にむかいます。



写真は、 ↓
雑草が1本もない といっていい程の葡萄畑。
さすが、誇り高い農業国フランス です。
それから、
原発国フランスの風力発電のための風車。
 DSC08374.jpg


モンペリエに到着しました。
サンチィアゴデコンポステラーズへの巡礼の道への通過点都市です。

            ・・♪・・

ホテルは クラウン・プラザ・モンペリエ・コルム(190 RUA D'ARGENCOURT MONTPELLIER 34000)
( TEL) 33-467-722222

ホテル内全体の雰囲気が、‘エキゾチック・ムード’!!!
いわゆる西洋側からみた、西洋人がみた  東洋(日本?)の装飾やかざりもの で統一されたデザインです。
中東もあります。高級感もただよい・・・、上品です。
大理石の豪華・ゴテゴテのヨーロピアンホテルとはちがい
どちらかといえば、いわゆるアメリカンホテルです。
このエスニックなデザインの目的は?
対象の客層は?(どこの国の、どんな人のために・・・?)
少しばかり オペラの蝶々夫人の舞台装置(舞台よりはもっともっと、、地味ですが、)をおもいだしてました。
南仏の地中海沿岸のこの都市には沢山のホテルがあるでしょう。
少し、印象の変わったオシャレなホテル が、 売り なのではないでしょうか。
ゆっくり 宿泊したいホテルの一つです。東洋人として少し複雑な感情はあります・・・が・・・


         ・・・・・・・

モンペリエ市街地の水道橋
(17世紀のフランス革命前の豊かさの一部の新しいもののようです。もちろん、ローマ時代の物ではないようです。)
ペリエ が、通過してたのかしら・・・・

可愛らしい凱旋門や、ルイ14世の騎馬像、などの楽しいコメデイ広場からペイルー公園でした。
DSC08359.jpg


↓は、やはりモンペリエ市内の 壁。
壁全体はフレスコ画です。
だまし絵 です。
前方の(写真では下の) サンロック教会 が、壁に映ってる感じ が、よくあらわされてます。


DSC08366.jpg
DSC08367.jpg


ピレネー地方に入る前にペルペニアンに立ち寄りお昼です。
リパブリック広場では青空市場が開かれてました。
カリグラフイーのセットを見つけました。
買えばよかった・・・



リヴィアに向かいます。
カルカッソンヌ や トウールーズ 近くを通り過ぎます。
ボルドーの南側のこの辺りのシャトーはヌーボーの時期で
大忙しの季節です。
フランスからのコンポステラーズの通行のための
ピレネーの1700m位の峠越えの位置に当たります。
ピレネー山脈は
ちょうど、大西洋と地中海を股にかけてます。
スペインの風が吹いてるような雰囲気になってまいりました。
リヴィアはフランスの中にスペイン飛び地。

フランス内のスペインの飛び地 リヴィア(Llivia) 入国です。
DSC08382.jpg

博物館を見学しました。
昔の薬博物です。
DSC08391.jpg


やっぱり、いまだにスペインは・・・
(博物館の飾りの人形)
DSC08392.jpg

あの、その・・・首が・・・。
DSC08393.jpg

ほっとしました。
やっぱり スペイン・・・。
DSC08398.jpg
スキーなどの観光を沢山受け入れてるようです。
フランス国内の飛び地で スペインはがんばってます。




[ 2015/10/28 18:16 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

Baroque

Author:Baroque
ここに引越しました。
本は友達!
絵(ルネッサンス・マニエリスム)音楽・お相撲・歌舞伎・お能・文楽・落語、・食べること大好き。

・・・・・・・・・♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


Baroqueの優雅な昼下り
  http://fzksakura.blogspot.com/
もよろしく。

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