Baroqueの優雅な昼下り②

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観音の里 祈りとくらし展Ⅱ びわ湖・長浜のホトケたち

芸大美の びわこ・長浜のホトケたち展
観音の里の 祈りとくらし展Ⅱ
にいってきました。
2014年4月の展覧会の Ⅱ になります。
観音の里Ⅱ
前回も同じ事を考えました。
なぜ この琵琶湖畔 特に湖北~湖東にかけて
 日本で選択的に
渡岸寺(向源寺)の十一面観音によって代表される 仏像 特に 観音像が多いのかが、
分かりませんでした。
量だけではなく質も高い。
小説などで意見を云ってる
井上靖 白洲正子 水上勉の諸氏 も、
気がつかないのか 全く興味がないのか 疑問にも思わなかったのでしょうね
全然触れてません。
細やかな観察は、尊敬に値しますが、物足りなくいつもおもっていました。

ここは やはり歴史学者のお話しを聴きたくなります。

個人的には
古代は日本海側は、大陸と繋がりで 物凄く発展した地で、あったということ。

大きいとおもいます。(何十年か前の日本史の講義を思い出します。)
奈良 京都 に首都が移りましたが、
日本海側の政治経済文化の凄さ 質の高さはおびただしいいものであったそうです。
その後、最澄の叡山の延暦寺との微妙な関係・・・。
影響は大きいとおもいます。
琵琶湖周辺には
巨大な寺院はなかったのか、なくなったのか、小さい寺が沢山できました。残ってます。
巨大寺院(今でいう国立or大企業)がなく 小堂(中小・零細企業)が多い。
きびしい税金の取り立てや、重労働は、大寺院建造にではなく
各村落にまかせて 力を分散させ 小さいお堂造りにしました。
その厳しさは同じようなものだったでしようが、
まとまりやすく信仰心も刺激しあった事でしょう。
もしかして
‘小さなお寺なんだから、
如来さま ではなく、観音さまぐらいにしろ’
との御意見 が、あったかも知れません。

延暦寺以後、古代からあった古寺が天台宗に転宗されました。
そして次第に現世利益を望むようになり
さらに薬師像や観音像が造営されはじめました。
それには、
平安末期12世紀に入るころまでに天台末山・末寺の造仏の
沢山の仏師の所在は大であったようにおもわれます。
それに
この沢山の小堂の所在は平安時代の天台荘園制の影響とされ 
古仏を伝えた原因であったともいわれてます・・・・。
(私は、この天台荘園制の事は、よくわかりませんが・・・
それと、
比叡山と琵琶湖畔の北と東という地理的な距離の関係は 微妙であるだろう事は、
想像だけしかできません。)

以前は、観音像が多いということで、
江戸時代に流行ったといわれてる 観音信仰 の影響であったのではないかと、考えた事もありました
が、
とにかく古い仏さまが、多いです。
ある意味ヒステリックな江戸時代の観音信仰とは ちがいますね。

信長による焼き討ちなどの
幾多の戦乱や数々の災害を乗り越えて
散らばってる 小堂 は、残ってます。
観音様達は、
博物館といういわば お墓のような場所にではなく
生きて その存在は 燦然と輝いてます。
凄い。
古代の零細企業政策の勝利!
今、これから 観光としての事業のさらなる発展を祈ります。

全く私の私見デス。
澤田瞳子さんあたりが、何か 書いてくれないかしら・・・

渡岸寺(向源寺)の十一面観音
向源寺 渡岸寺 十一面観音菩薩

[ 2016/07/21 23:10 ] 展覧会 | TB(0) | CM(0)
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Author:Baroque
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