Baroqueの優雅な昼下り②

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イラン・イスラム共和国  ⑰

テヘラン

イラン国立考古学博物館(バースタン)


この博物館は
二つにわかれてます。
古代からササン朝までのペルシャ時代
アラブからイスラムが入ってからの時代    です。

私は古い方にのみ行きました・・・・
イラン国立考古学博物館

古い時代のペルシャ
   ペルシャ時代





エラム王国は
旧約・新約聖書にも言及されてるそうです。
イラン南西部にBC3000年中葉~BC7世紀まで栄ました。
この地方は 
木材・鉱物資源が豊かな 山岳地帯
と、
豊かな水を灌漑によって利用した平野部
によって占められてました。
独自の文化を築きその文化遺産は多数出土しました。
(ルーブル美術館・スーサ博物館・イラン考古学博物館に分蔵)
エラム王国は三期に分けられます。
エラム古王国 BC2500頃~BC1500
エラム中王国 BC1275~BC1240
エラム新王国       ~BC742

土着の種々の民族によって構成されていたようです。
プロト・エラム文字という絵文字
その後の線文字
もあったようですが、これらは
解読されてないようです。

エラム王国 チョガ・ザンビル のジッグラト  (おそらく BC12ごろ  )
ペルシャのジックラトさん


   ペルシャのジッグラトい




   ペルシャのバベル
ジックラトはメソポタミアの聖塔で、神々が神殿に降臨するための門でありました。
本格的ジッグラトは BC2100年ごろ現在のイラクのウルがメソポタミアを統一したこ頃
ウルの主神(月神)の神殿を建て 付属する
聖塔ジッックラトを建造しました。
BC6世紀頃までにメソポタミアやエラム(現在のイラン)に造営されました。
エラムには 30くらいの存在が、証明されてます。
最も保存状態のいいのは ‘ウルのジッグラト‘です。

エラム王国のチョガ・ザンビルには行きませんでした。
が、
イランでは、これが一番良い状態で保存されてるそうですので、
少し調べました。
1935年の油田の調査の時に偶然発掘・発見できたそうです。
50mはあったと思われる 聖塔です。
西イラン

西



チョガザンビルの模型
キリスト教圏とくに ヨーロッパでは、これが バベルの塔 と、言われてる事が多いそうです。
まあ、そう遠くはないですし、あり得る事ではあります。
十字架 といい、
バベルの塔 といい
機能性と美しさ が、抜群のこれらは、宗派を問わず  
偶然か、真似か は、わかりませんが 素敵です。




時代は、下ってアケメネス朝です。これはペルセポリスですね。
   DSC09402.jpg




ペルセポリスの謁見の間 への階段
ダレイオス大王
      ダレイオス大王とクセルクセス(左)


ペレスポリス100柱の間の柱頭の飾り
    DSC09405.jpg





パルテイア朝の貴人の像  ↓
この像は、日本に来た事があるそうです。
(教科書などで見たことがあります。)
この像を拝見した・・・・・というだけで
アケメネス朝 と、ササン朝の間に 時代的に位置してる
パルテイア朝を 少しだけ調べてみました。
博物館でみただけです。
アレキサンダーの東征とセレウコス王朝の支配(BC4~BC2ごろ)には、
ヘレニズム文化が移植されました。この時期の事はほとんど知られてません。
セレコス王朝はシリアのアンテイオキアを都にしました。
イラン高原東北部のホラサンなどはそこから独立したようです。
それから
アケメネス王朝の属州パルテイアに侵入しました。
アルサケス朝パルテイアの歴史がはじまったようです。
アルサケス1世は間もなく亡くなり弟のテイリダテス1世(BC211)
が継ぎ ヒオルカニア、メデイアなどイラン北部・西部へ進出 
さらにバビロンなどのメソポタミアを占領し
イラン高原南部の スシアーナ、ペルシスなどを征服しパルテイア帝国を樹立しました。
東はサカ族を征服し  メシポタミアからアフガニスタン南部にいたる広大な領域を支配しました。
セレコウス王朝に変わったローマ共和国が、メソポタミア、アルメニアなどと衝突し
内乱などもありササン家のアルダシール(224~240)にやぶれ
アルサケス朝パルテイアは滅亡(226年)

アルケサス朝パルテイアは、
前代のアケメネス王朝 と、 次代のササン朝がイラン的色彩が濃厚な文化を創造しましたが、
ヘレニズム文化を積極的に受容したので
非ペルシャ的色彩が濃い。
しかしながらイラン国内の考古学研究があまりないため資料がほとんどない。
これに対し いらく、シリア、トルコメニスタン、アフガニスタンなどの周辺都市遺跡は、発掘され
両隣接地区の美術はその不足を補足してます。

アケメネス朝後 の   パルテイア朝の貴人立像(BC1~AD1、ジャミー出土、 ブロンズ194cm)
これは日本に来た事があるようです。
    アケメネス朝パルテイア王子


このパルテイア朝の諸都市の都市設計プランは、円形(楕円)が多いそうです。
中心から四方に大路を配し東西南北に4っつ門があります。
(ウズベキスタン、 タフト・イ・スライーマン、ハトラなどに遺跡がある。)


タフト・イ・スライーマン遺跡
中央におおきな池がある。
タフトイスライーマン遺跡







ハトラの都城跡平面プランと都城跡の中央部分

イラン北部モールス市90kmハトラ(現、アル・ハドル)
この時代のもので、最もよく保存されてる。

ハトラの都城跡平面プラン


アッシリア、ヒッタイト、メデイア、ホルムズ、西トルキスタンなどでも発掘されてる。



        ・・・・



ハンムラビ法典のコピー
(本物はパリ・ルーブル美術館にあります。)
BC18世紀後半 イラン・スーサ出土
上部 太陽神が、立ち上がったハンムラビ王に法典をさづける場面。
     ハンブラビ法典のコピー


ハンムラビ法典の楔形(せっけい)文字
     スサ出土 クサビ文字



         ・・・・


ギーラン出土の椀  ササン朝
        DSC09416.jpg

ギーラン ササン朝    ↓
     DSC09417.jpg

帰えってから
吉川弘文館
深井晋司・田辺勝美 著
ペルシア美術史

楽しく読んでます。




これで、今回の 架空都市 は終わります
[ 2016/11/02 23:39 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)
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