Baroqueの優雅な昼下り②

ここに引っ越してきました
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アラビアの道

アラビアの道 サウジアラビア王国の至宝  展にいってきました。

数千年の歴史を持つサウジアラビア王国は
その面積は、アラビア半島の80%です。
              その90%が、砂漠です・・・
アラビア人が大多数でアラビア語を話します。
首都は リヤドとメッカの二つ。(国王はリヤド、官庁・宗教の都はメッカ)
世界で2or3番目か4番目の原油の産油国(一位アメリカorロシア、3or4位はイランか?)


このようにまとめての今回のような展覧会は日本初公開だそうです。
  (そういえば、あまり聞いた事がありませんでした。)
アラビアの道
この展覧会は
協賛が 昭和シェル石油、住友化学
特別協賛が サウジアラコムというサウジアラビア王国の国営石油企業 

(現在の イラン 出光の関係はどうなっているのでしょうか。その後の 海賊とよばれた男・・・・・)



アラビア半島は恒常河川がほとんどない地球上でもっとも広い地域です。
水がもっとも不足してる資源といえる。
降水量が少なく、年間の蒸発する水分量が多い。
半島の東側の岩盤層は浸透性があり、広範囲に帯水層が形成されてます。
このため湧き水や、掘り抜き井戸がよくつくられている。
重要な農業地帯です。
また、この乾燥した不毛の地であるアラビア半島にあって
西部や南西部の山岳地帯は高地では降水量も多く
独特な多様な植物が密生してる。




香料の道
アラビア半島の南西部(現在のイエメン、オマーンの一部)で産出する
乳香、没薬などの樹脂香料は
世界各地にて大いに珍重されました。
そのために、香料産地として富を蓄える南アラビアは
ギリシャ・ローマの古典史料で
‘幸福のアラビア’ と、よばれました。
古代エジプトの王たち、アレクサンドロス大王、ローマ皇帝も
香料の産地の支配を夢見ました。
が、
それが成就する事はなかった。
前1000年頃までにラクダの使用がひろまると
香料の隊商交易により交易都市は目覚ましい発展を遂げました。
多くの人びとと物品がアラビア半島を行き交じりました。
DSC_0192.jpg




☆北アラビアの大オアシス都市タイマーには前6世紀の楔形文字碑文があります。
(新バビロニア最後の王も 前553年~10年間逗留しました。)
前4世紀頃のアラム語の奉献碑文もあります。
☆北西アラビアの大オアシス都市ダーダーン(現在のウラー)も大きく栄えた隊商国家です。
前4~3世紀頃のダーダーン文字の奉献碑文もあります。
タイマーとダーダーンはライバル関係にあり 前7~6世紀に戦争もあり
タイマーは新バビロニアの勢力下
ダーダーンはリフヤーンに代わった。
そして
前2世紀末には ナバテア人の到来により弱体化しました。



ナバテア王国
前4世紀末に初めて歴史上に名を表しましたナバテア人。
香料貿易により富を蓄え前2世紀後半までに
現在のヨルダンのペトラを都に強大な王国を築きました。
もとは、遊牧のアラブです。
水利技術に長け、定住して灌漑農耕を行うようになった。
ナバテア人は前2世紀に ダーダーンのリフヤーンを弱体化させ
マダーイン・サーリフを南の都とした。
現在もペトラと同様の 荘厳な岩窟墓が数多く残されてる。
106年ナバテア王国はローマ属州に併合される。
タイマー や、ダーダーン に、ナバテア人の痕跡がある。


私は昨年秋にヨルダン観光してます。このナバテア王国の首都ペトラ遺跡に行きましたので
このナバテアのコーナーは特にうれしいです。

ナバテア王国
マダーイン・サーリフの岩窟墓  ↓
サウジアラビアの至宝

砂漠の国のオアシス・・・・
これが都市として発展します。
緑ゆたかなオアシス都市
香料を運ぶ隊商交易の拠点
↓ これらは オアシス都市です。
カルヤト・アルフーウ   
ナジュラーン(アラビアのキリスト教の拠点)
デイルムンと呼ばれたアラビア湾沿岸地域都市 ゲラ など。
ゲラはヘレニズム・ローマ時代に繁栄。








古代アラビアの文字文化
古代アラビア文字文化








文字
この表だけでは 文字の歴史や流れ は、詳しくは理解できません。
なんか楽しい・・・







ムハンマドのイスラムの(6~7世紀)は、アラビア半島全域に広がりました。
二大聖都マッカとマデイーナへの道は巡礼路としてにぎわいました。

さらにウマイヤ朝には 中央アジア
              北アフリカ
              イベリア半島まで勢力下にはいりました。



シリア(ダマスカス)  エジプトから  マッカへの巡礼路

ダマスカスと二大聖地マッカとマデイーナ  を結ぶ巡礼地は整備されはじめます。
ダマスカス
ウマイヤ朝の成立以後 カリフ達のシリア巡礼路の黄金期を迎えます。
その後も時代を通して使われ続け
1908年には ダマスカスとマデイーナを結ぶ ヒジャーズ鉄道 が建設されました。
(映画 アラビアのロレンスにも登場しましたね。)

エジプトからの巡礼路
シナイ半島を横断して アカバ 経由、内陸を南下、
その後は半島を紅海に沿って南下がつかわれた。
エジプトのフアーテイマ朝以後は海路でジェッダに到着。
再び、沿岸ルートが復活し19Cまで使われ続けました。









さらに
イスラム以後のアラビア文字
イスラム時代以後  アラビア文字は、
イスラム共同体の公式な文字になりました。
コーランの編纂は 第三代正統カリフ ウスマーン時代です。
偶像崇拝が、禁じられてたイスラムは
高度な書の芸術が発達しました。
次第に 草花装飾を帯び
さまざまな書体が生まれました。

9世紀頃からの うつくしい墓碑(玄武岩)が展示されてました。
15世紀ごろからは 大理石、羊皮紙、そして紙に・・・コーランなど。




二大聖都のモスク管理
アッバース朝のの滅亡後
マッカとメデイナはムハンマドの子孫の家系が世襲で統治しました。
マルムーク朝(エジプト)  235年間の支配  の後、
オスマン朝    1517~  
オスマン朝 その支配は4世紀にわたりました。


王国への道
イスラムは アジア、アフリカ、ヨーロッパ の三大陸にまたがって拡大しました。
聖地マッカやマデイーナを含む
紅海沿岸の ヒジャーズ地方は エジプトのマルムーク朝の
さらに
オスマン朝の
支配下になりました。

スンニ派イスラム教 のワッハーブ派とサウド家は
19世紀初めに ヒジャーズ地方を制圧して 現在のサウジアラビア王国にあたる地域を統一しました。
(第一次サウド王国  1818年に崩壊)
1824年に立て直しましたが、
(第2次サウド王国  1891年に崩壊)
1902年リヤド奪還
(アブドウルアジーズの立て直した王国が現在の サウジアラビア王国)



1933年 サウジアラコム が、設立され1938年に ダーラン(ザフラーン)で
‘ダンマン油田’が発見されるまでは、国は貧しい状態だった。
油田開発は 第二次世界大戦のために中断したものの
1946年には開発が本格的に始まり1949年には採油活動が全面操業した。
石油はサウジアラビアに経済的繁栄をもたらしただけでなく
国際社会におけるおおくな影響力もあたえた。







           ・・・♪・・・・


今回の アラビアへの道  は、このへんまで・・・


少し、つかれました・・・、 でも 楽しかった・・・
重い重い 図録を買ってよかった。
この労力をムダにしては・・・
との思いから
このブログの大部分は 図録 からのものです。








↓ は、wikiより
乳香の
乳香



ボスウエリア属植物の花
ボスウエリア属植物の花  ↑

乳香
ボスウェリア属植物の花
ボスウェリア属植物の樹木
乳香(にゅうこう)とはムクロジ目カンラン科ボスウェリア属の樹木から分泌される樹脂のこと[1]。

ボスウェリア属の樹木は、
オマーン、イエメンなどのアラビア半島南部、
ソマリア、エチオピア、ケニア、エジプトなどの東アフリカ[1]
インド[2]に自生している。
これらの樹皮に傷をつけると樹脂が分泌され、空気に触れて固化する。
1-2週間かけて乳白色~橙色の涙滴状の塊となる。











没薬ミルラ
没薬

没薬樹
没薬樹


没薬(もつやく)とは、
ムクロジ目カンラン科コンミフォラ属(ミルラノキ属)(英語版)
の各種樹木から分泌される、赤褐色の植物性ゴム樹脂のことである[1][2]。
外国語の転写からミルラ(あるいはミル、Myrrh)とも呼ばれる[3]。



名前の語源[編集]
ミルラも中国で命名された没薬の没も
苦味を意味するヘブライ語のmor、
あるいはアラビア語のmurrを語源としているとされるほか[4]、
神話に由来するとされることもある[2][4]。


分布・起源[編集]
没薬樹はスーダン、ソマリア、南アフリカ、紅海沿岸の乾燥した高地に自生する[3]。
起源についてはアフリカであることは確実であるとされる[5]。



又、昨年はオマーン大使館 と、イエメン大使館 を、訪問する機会にめぐまれ
そこで 乳香や没薬 等、の接待と講義を受けました。
オマーンは 今は産油国ですが、
 過去において 幸福のアラビアといわれたあのイエメンは 今はニュースなどの報道で知られてる現状のようです。



このブログを、書いてる内に
旅行社の広告がネットに入ってきました。
‘ レバノン観光旅行の募集を始めました。 ’
というものです。
あのレバノン杉のレバノンです。
なんと、12年ぶりの募集という事です。
外務省発表の 安全度のランクが、1ランク下がったからのようです。
シリアはまだのようです。
いつの世も民間の生きる力はスゴイですよね。
フエニキア地方は大部分がレバノンです。
旅行会社は頑張ります・・・・












[ 2018/02/21 10:00 ] 展覧会 | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Baroque

Author:Baroque
ここに引越しました。
本は友達!
絵(ルネッサンス・マニエリスム)音楽・お相撲・歌舞伎・お能・文楽・落語、・食べること大好き。

・・・・・・・・・♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


Baroqueの優雅な昼下り
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もよろしく。

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