泰西王侯騎馬図屏風をみてきました。
ミッドタウンのサントリー美術館です。
ただ今のわたしにピッタリの展覧会です。
若き日の 北原白秋、吉井勇、与謝野鉄幹、木下杢太郎、平野万里 ら5人が
天草を旅した時の五足の靴という紀行文があります。異国情緒、南蛮文学は
意味もわからず私も興味を持つ分野のひとつでした。
バテレン、隠れ切支丹、IHS、などわくわくします・・・。
ふるえます・・・。
この屏風にも興奮させられます・・↓
この展覧会の図録の解説に 坂本満氏や岡泰正氏の文が載ってます。
それを読んで一番驚いた事・認識した事は南蛮船の交易期間が短いという事です。
1549年(イゴヨロシク)のキリスト教伝来~1614年の徳川秀忠の禁教令までは65年です。
こんなに短い期間に日本はずい分沢山の異文化を受け入れました。すごいです。
↓の写真はリスボンのジェロニモス修道院です。16世紀初期のものです。
まさに大航海時代の栄華を反映させた壮麗な建物です。
ポルトガルの建築様式のマヌエル様式も取り入れたレース細工のような繊細な彫刻が特徴的に美しいです。
国王マヌエル、同妃、ヴァスコ・ダ・ガマ、ルイス・デ・カモンイスなどがねむってます。
日本の天正遣欧少年使節団の少年も訪れたそうです。
びっくりしたでしょうね。平成の今でも私はその豪華絢爛さに驚いてます・・・
このジェロニモスはヒエロニムスと同じだそうです・・・
↓はその少年達が宿泊所としていたサン・ロケ教会です。
修復中でした。裏側からの写真です。
天正10年(1582年)長崎を出発した少年達はマカオ、ゴア、を経てリスボン到着、滞在中スペイン、イタリアを訪問してます。天正18年(1590年)グーテンベルクの印刷機などのおみやげを持って帰国。その間に秀吉によってバテレン追放令がだされてました。
少年というのでな~んとなく親しみやすい感じがしますが
彼等は大名の名代、つまり大名の子息達です。殿様になるような若様達でした・・・。
私は若い頃切支丹弾圧可哀相 と思ってた人でしたが
今は違います。国が守れてよかったと思います。時の覇王のおかげです。
スペインがイスラムとの戦い着けた戦力でもって想像を絶する残酷さでアステカ、マヤ、インカ文明を滅ぼしたという事を聴いた事がありますので・・・・。ふるえます。
↓の写真はスペイン観光のときに
道端で買ったものです。
A3位の大きさの世界地図です。
裏側に1570年の年号が印刷されてるのがみえます。
そのころの世界地図です。日本の形がおもしろいです。
切支丹で思い出す本に ↓があります。
白樺派の長与善郎の 青銅の基督 です。
主人公の
萩原裕佐は鋳物職人です。
切支丹の娘モニカに失恋しました。
信者ではないので
役人からの依頼で踏絵の制作を引き受けました。
この青銅の基督が傑作でした。
これが傑作でしたので 悲劇を生みました。
モニカは踏みません。
他の絵を踏んだ切支丹も踏みません。
モニカに似てる遊女君香は切支丹ではないのに踏みません。
萩原裕佐は疑われます・・・
こんなにすばらしいのは信者なのではないかと・・。
彼自身も踏みません。
悲劇の処刑です。
(注:↑は私の記憶で書きました。)